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リトアニア週末紀行 其ノ五 センポ・スギハラとの再会
(5月2日のお話の続き)


独立広場の聖ミカエル教会を通り過ぎ、大通りを右折すると、朝来た時にバスで通って来た大通りに出ました。もう随分歩いて戻って来たというわけですね。


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ご覧の公園、というか緑地では随分遊んでいる子供たちが多いな、と思っていたら・・・


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なななんと!カウナス・アレクサンドル・プーシキンギムナジアがありました。リトアニアにもこんな名前の教育機関があるのですね。調べてみたところ、やはりここはロシア語で教育を行う学校である模様です。毒にも薬にもならぬ情報で恐れ入りますが、基本的に昼間は就学前、初等、中等の教育をロシア語で行うそうですが2009年からリトアニア語で教育を行うクラスも出来たとか。夜学もありますが、こちらは18歳以上を対象にリトアニア語で教育が行われるそうです。


ちなみに、私のもみあげは半分この偉大な詩人へのリスペクトを表しています・・・なんてね(笑)


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大通りを逸れて緑地を突っ切ると周囲はごく平凡な住宅街になってきました。


ここを真っ直ぐ行くと心臓破りの階段、と言わんばかりの結構しんどい階段が現れます。500mlのビールを2杯飲んでしまっていたもんで結構大変だった・・・それでもなんとか階段をのぼりきって道沿いに歩いて行くと・・・!


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はい、こんな建物が現れます。こちらが私がカウナスを目指した理由の1つ、杉原記念館(旧日本領事館)でございます。


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希望の門、命のヴィザ・・・


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入口は記念館の脇の小さな道を少し下った場所にあります。記念館は地下なんですね。ベルを押すと人の良さそうな館長が開けてくれました。


来る時に記念館の近くに大き目のバスが停まっていたので、「ま、まさか・・・!」と思ったのですが、中にはやはり日本人の団体さんがいましたよ。今回は先ほどの方々より随分若い方も混じっていて親子連れなんかもいらっしゃいました。どうやら皆様ドイツからやってきた模様。在留邦人やその家族向けに欧州内のツアーなんかを企画する旅行社は結構どこの国にもあるのでしょうね。この点はベルギーも然り、です。


さて、「日本のシンドラー」なんて呼ばれることもある杉原千畝(すぎはらちうね)をタワーリシ各位はご存知でしょうか?第二次大戦の初期、ナチス・ドイツの迫害から日本を通過してアメリカ・オーストラリアなどへ逃れることを求めたユダヤ人に対し、日本本国の命令に背いてまで通過ビザを発行し続け、多くの命を救ったとして有名な外交官です。当時リトアニアの首都はカウナスだったため、まさにこの旧日本領事館である場所が舞台となったというわけです。


私が杉原千畝のことを知ったのは、もう何年前だったか忘れましたが(笑)高校生の時のことです。校外学習か何かで市民ホールかどこかに演劇を見に行った際の演目が「センポ・スギハラ」というものでした。高校1年生当時は私も尖っていたのでしょうか、「はぁ?スギハラはともかくとしてセンポってなんだよ?イッポ、ニホ、センポかよ?」とまで言ったかどうかは定かではありませんが、ヘンな名前だなあ、と思った記憶があります。実際には「ちうね」という発音が現地人には発音しにくいということで、「せんぽ」という音読みで通していたということを後で学びました。今では劇の各場面については朧げな記憶しかありませんが、それでも劇を観終った時にはいたく感動したことをよく覚えています。


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館内には当時の家族との暮らしぶりや、杉原氏の人となり、生涯などが写真パネルと文章で紹介されています。


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杉原氏がそもそもリトアニアで勤務していたのは諜報活動を行うためだったそうです。リトアニアはソ連やドイツと国境を接していて地理的に絶好の場所だったのですね。英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語も達者であったそうな。羨ましい限りです。


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英語やヘブライ語で書かれた関連書籍も併せて展示されていました。


1940年の7月18日、ナチス・ドイツに追われポーランドからリトアニアに逃げてきたユダヤ人たちの人だかりが突如としてここカウナス日本領事館前にできたそうです。当時の世界各国はユダヤ人の受け入れをはっきりと拒んではいなかったとのことですが、様々な条件が課され事実上ユダヤ人が渡航するのは難しい状況にある国が多かったとか。


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当時の松岡洋右外務大臣に宛てた文書の一部。


当時の領事代理であった杉原千畝はビザ発給の許可を求める電報を何度も日本に向けて打ったそうです。ところが毎回の外務本省からの回答は「否」。日独伊三国同盟を模索していた日本としてはナチス・ドイツを刺激するような行動は出来なかったことは理解出来ますが、ユダヤ人たちには日本通過ビザが彼らに残された生きるための唯一の手段でした・・・日増しに伸びてゆくユダヤ人の行列を前に杉原千畝は悩みに悩んだ挙句、ついには本国の命令に背き、ビザを発給することを決意したのです。


この頃、1939年の独ソ不可侵条約の秘密協定でバルト三国のソ連併合が決定されていたことを受け、リトアニアにもソ連兵が進行してきていたそうです。8月3日にリトアニアはソ連に強制されて独立国を放棄、結果として在カウナスの外国公館は8月25日付で閉鎖されることが決まりました。千畝の手記には「・・・忘れもせぬ一九四〇年七月二九日からは、一分間の休みもなく、ユダヤ難民のための日本通過ビザ発給作業を、開始した次第です」とあるそうです。


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当時の執務室が再現されています。この机で命のビザが書かれていたんですね・・・


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はるばるやって来たので、私もビザを書くつもりでしっかりと記帳しておきましたとも。そして、基金への募金も併せてしてきました。


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「命のビザ」拡大版ですね。


杉原千畝は領事館の整理に追われる間も、また出国までの滞在先のホテルの中でも休むことなくビザを書いたそうです。9月5日にベルリンに向けカウナス駅を出発するその時まで書き続け、最後の1枚は車窓から手渡したといいます。発給したビザは2000枚以上、家族に対しては1枚でも有効だったためビザの対象となった人は6000人を超えるとか。こうして救われたユダヤ人の親族や子孫の数は現在では25万人にもなっていることがわかっているそうです。杉原氏が書いていたビザはまさに命をつなぐビザに他なりませんね。


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別室では福井テレビ制作の15分程の映像を上映して見せてくれるのですが、これが結構泣かせる番組になっているんですね。前の日本人の団体さんが終わった後でたった1人で見ていたので遠慮なくじ〜んとすることが出来ました(笑)


映像を見終わると結構いい時間になっていたので、杉原記念館のブックレットと杉原千畝ガイドブックなる書籍を2冊購入し、館長に挨拶をして辞去しました。長閑な住宅街を通り抜け、来た時にバスに乗ったバスターミナルを通過し、特に慌てることもなく駅に到着出来てよかったです。


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こちらは線路側から駅をみた画。17時過ぎの帰りの電車にも少し余裕を持って到着出来ました。まだ結構暑かったので駅の横のキオスクでボルジョミ(グルジアの天然炭酸水)を購入し喉の渇きを潤しました。久しぶりに飲んだけど、独特の塩気みたいなのが美味しかった!


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こうしてカウナス日帰り旅行は終わり、ヴィリニュスまで1時間40分の道のりをまた戻ったのでした。


朝から歩き通しで結構足が疲れたこともあり、帰りの電車内では財布の位置に注意しながら居眠りもしつつ無事ヴィリニュス駅に到着。そのまま窓口で翌日のシャウレイ行の始発電車の切符を買いました。朝早くて万が一窓口が開いてない、なんてことになると困りますからね。


駅からホテルまでの道のりはもう大丈夫なのですが、今回はバスを利用して帰ってみました。ヴィリニュスの旧市街はやはりリガなんかと比べて広いですね。


ホテルに着くと早速ごろごろして休息休足しつつ、夕食は何にしようか検討しました。お昼はリトアニア料理をたらふく食べたので、何にしようか・・・眠いし出歩くのが面倒くさい気もしたのですが、ここは今回の旅でトライしていないロシア料理だろ!ってなことでロシア料理店を調べ、重い足を引きずって街に出たのでした(笑)


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ネリス川に架かる橋の途中で一休みして、川の水面をぼんやりと見遣っていると・・・


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気持ちよさそうな水上の旅人の姿が・・・陽も傾いて爽快な気分だったでしょうね。


橋を渡り切って右折をしてしばらく歩いて行くと、そろそろお目当てのレストランに着くはずです。・・・着くはずなのですが、一向にそれらしきお店が見当たらない・・・辺りは住宅街とビジネス街があわさったような感じの雰囲気。人通りもなく段々暗くなってきたので心細くなってすらきました。


どうしようかと思っていると、近くの駐車場におじいさんが歩いている。思い切って声をかけたところ、「Excuse me?」では通じないのか止まってくれない。少し大きめの声で「Простите, пожалуйста!」と言ったら止まってこちらを向いてくれたので、「すみません、ロシア語がわかりますか?」と尋ねたところ耳に手をあてて「わかるよ。なんじゃい?」ってな感じで答えてくれました。「この辺りに『ツァールスコエ・セロー』というロシア料理店があるはずなんですが、ご存じありませんか?」と問うたところ、「確かこの通り沿いにあったはずだが、こっち側じゃなくて反対側じゃ。橋を通り過ぎて100mか200mくらいのところ」と。なるほど、橋を渡って左折すればよかったのですね。どうやら頭に入れたつもりの地図上で橋を一本間違えたな。


おじいさんには丁寧にお礼を言って教えてもらった方向へ歩いて行きました。「明日は早いからあまり遅くならないうちに帰ろう」なんて思って歩いていると、まさかとは思ったのですが橋に差し掛かる辺りで日本人の女子大生と思われる(バッグのかけかた、服装などから)5人組くらいに遭遇。その中の1人は「えっ、うそ?この人日本人じゃない?えっ、うそ?」的な視線を送ってきており「2回聞き返さなくったってうそじゃないよ・・・」なんて思っていたのですが、こちらはじりじりと無言ですれ違ったのみ。私は「あれ、この人日本人かな?」と思っても意外と台湾人なんかに間違えてしまうことも多いのですが、あの晩すれ違ったお嬢さん方、もし日本人だったらコメント書き込んで下さいね(笑)


というわけで、結局30分以上歩いたけどレストラン"Царское Село"に無事到着。おじいさんありがとう!この名前のロシア料理店はきっととっても多いでしょうね。


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お店の脇には大きなマトリョーシカがやってくるお客さんを歓迎していました。


お店はよくあるカラオケとダンスが出来る飲みレストランみたいなところなので結構な賑やかさ。観光客も地元民も来ている感じでしたが、顔見知りのような方も多かったみたいなので、やはりロシア系のタワーリシ各位の交流の場になっているのかもしれません。


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毎度の如く1人で飛び込んだら若干戸惑われましたが、「独身1名、よろしいですか?(Один холостяк, можно?)」と(店内が騒がしいので)少し大きめの声で言って席に案内されました。通された席はステージが見にくい場所にあったのですが、なんと席からも見えるようカメラの映像がスクリーンに投影されていました。親切ですね。女性の歌手の方とフツーのおっさんかと思ったらおっさんの歌がめちゃくちゃ上手くて感服しました。


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まずは本日1日の疲れと喉の渇きを潤します。朝からカウナスで歩き詰め、ヴィリニュスに帰って来てからもここにたどり着くまでに結構歩いたので本当に疲れた。それでも、とても爽快な1日でした。高校生の時に知った「センポ・スギハラ」にまさかこんな形で再会出来るなんて・・・まったく人生何が起こるかわからないもんですね。


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サラダ「オリヴィエ」です。留学時代によくスーパーで買っていたっけなあ・・・大体このオリヴィエか、ヴィネグレッドというビーツのサラダを買ってビタミン補給していた日々が懐かしいです。


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「とっくにご存知なんだろ・・・?こちらが、泣く子も黙るウクライナ風ボルシチだ!」この甘くて酸っぱいような味が疲れた体に沁み渡ります・・・


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そしてこれが、「毛皮を着た・・・なに?毛皮が脱げかかっている、ニシン・・?」です。またニシンかよ(笑)って感じもしますが、「毛皮を着たニシン」はロシア料理の中で一番好きなメニュー。普段滅多に食べられないのであると必ずと言っていいほど頼んでしまうのです。


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そして極めつけは、、ご覧の「シベリア風ペリメニ」でどうだ!(笑)私はどちらかというとスープのないペリメニをこれまでよく食べてきましたが、スープありのペリメニもなかなか美味しい。


こうして写真を見返していると何だかんだでかなりのカロリー超過だよな・・・ってことで、ロシア語で各料理のカロリーを検索して調べてみました。例えばボルシチなら「борщ калорийность」ってな具合にね。


結果、「オリヴィエ」198kcal、「ボルシチ」290kcal、「毛皮を着たニシン」340kcal、「シベリア風ペリメニ」415kcal, 合計1243kcal、これに0.5のビール2杯で400kcal, ボルシチにパンも付いてきたので丸パン100kcalとすると・・・なんと1743kcal(!)成人男子の一日あたりの摂取カロリーは1800~2200kcalだというそうですから、ご覧の通り完全にカロリーオーバーだったんですね!


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お店が入った時より随分空いてきたかな・・・?なんて思ったら、皆さん一同でステージの方に出てダンスをしていらっしゃったんですね(笑)どんな曲にも合わせて踊れてしまう人たちが本当に羨ましい限りです。


ロシア料理をおなか一杯食べた満足感と、カロリー超過の罪悪感の2つを抱えながら毎度の如く腹ごなしをすべく歩きでホテルに帰りました。結構混んでるかと思った割には料理が早く出てきてヨカッタ。自信ありませんが明日は早起きしてシャウレイという町にこの旅のカロリー超過を懺悔しにいくよ・・・(笑)


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - リトアニア, 05:55
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リトアニア週末紀行 其ノ六 不思議なフシギな十字架の丘と頻発するS事件
(5月3日のお話)


朝の5時半に目覚ましをとめて目を開けたのですがとにかく眠い・・・昨日購入したシャウレイ行の始発列車は6:45の列車ですが、詳しいバスの時間もわからないので6:15にタクシーを頼んで駅までビューンと行くことにしました。いつかの広島紀行でやったオトナのタイムイズマネー方式で10リタスなり。


駅に着くと丁度列車が入線してくるところでした。女性の検札官の方に切符を見せるとなんと英語で座席番号を教えてくれました。さすがEUですね。


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なんだかモスクワ〜ノボシビルスクまでシベリア鉄道で旅をした時のことを思い出しますなあ・・・



ヴィリニュスからシャウレイまでは約2時間半の道のり。電車の中は結構快適なので景色を見たりウトウトしたりして過ごすことが出来ました。


到着まではまだ少し早いぞってな時間に"Next station is Siauliai"なんて聴こえたので、隣に座っていたおばちゃんに「シャウレイ?」と尋ねてみたところ、おばちゃんは慌ててリトアニア語で何やら言っている。「ロシア語がわかりますか?」と言ったらしばしの沈黙の後に「・・・Шяулей будет потом(シャウレイはもう少しあとよ)」と、教えてくれました。いきなりこんなザ・東洋人て顔した奴に話しかけられて驚かせてしまい申し訳なかったですが、ともかくありがとうございました。


どうやら車内のアナウンスは「(まもなく)○○駅です。次の停車はシャウレイです」ってな感じで、シャウレイはまもなく停車する駅の次の駅、というような案内の仕方だった模様ですね。


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そんなわけで到着しました、こちらがシャウレイ駅前でございます・・・駅の脇の駐車場にタクシーはいましたが、ご覧の通り寂しい感じです。


ここから左の方向に向かい、バスターミナルを目指して歩いていきました。東洋人なんて1人たりとも見かけません、というかそもそも往来のナロードが少ないです・・・


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10分ほど歩いたでしょうか、ご覧のバスターミナルに到着しました。お隣はショッピングモール、ロシア語でいうところのТорговый центрとなっており、こちらには旅行客やらナロードやらが大勢行き来していました。


私も早速窓口に行き「おはようございます。ドマンタイに行きたいんですが」と言って切符を買うと、一緒に帰りのバスの時間を書いた紙きれをくれました。バスは10時25分くらいに来るらしいので、12番乗り場のあたりで時間を潰してバスを待ちます。ふらふら歩いたり、地球の歩き方をめくったりしてふと辺りを見回すと、なななんと!驚いたことにいつから現れたのか、行先が同じと思われる日本人男性と女性の姿が!男性の方はパッと見た感じ冒険家のような風貌でリュックをしょっている・・・そして、女性の方は・・・少し遠いけど美人ぽいぞ・・・(笑)


こんなしょうもないことを考えていたのですが、こちらがこんなことを考えているということは、先方も私に対して似たようなことを考えているかもしれない・・・そう、あの男性には「あっちに、クマみたいなヒゲ面と、美人がいるな・・」とか思われ、あの女性には「冒険家みたいな人と、皇族関係者みたいな顔した人がいるわ・・・」なんて思われている可能性があることを考えると戦慄してしまいました・・・日本人だってことがバレる最大のリスクである地球の歩き方を閉じ、「俺は中国人だ、いや韓国人だ、いやもうブリヤート人でいい・・・」と念じているうちにバスが到着。地元民の方々と一緒にバスに乗り込みました。


バスターミナルからドマンタイまでは15分くらいでしょうか。特にアナウンスもないような感じで心細かったのですが、そろそろだろうという辺りで隣にお孫さんと座っていた若めのお婆ちゃんに「ドマンタイ、チャ?」と尋ねてみたところ、頷いていたのでどうやらそうらしい。無事にドマンタイで下車出来たのです。ちなみにものの本に書いてあったことによると「ここ」のことをリトアニア語では「チャ」というらしいです。


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バスターミナルから15分やってくるだけでこんな自然の中に放り込まれます。天気も最高でとにかく気持ちがいい!


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近くに目的地への道標もあるので迷うことはないでしょう。


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たいして車通りもないので、こんな道の端っこや真ん中をとぼとぼとゆっくり歩いて行ったのです・・・空も周りの自然もきれい過ぎて、もうこれだけで今回リトアニアにやってきた甲斐があったというものです。


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歩いて行くと道端に数か所、十字架が現れます。


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バスを降りたタワーリシ各位の中で私が間違いなくビリでしたが、いよいよ目的地に近づいてきた模様・・・


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遠くに丘みたいな場所がちょっぴり見えてきたかな・・・?


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見えてきた見えてきた!


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はい、とうとうやって来ました、こちらが十字架の丘です!これを自分の目で見てみたかったのです・・・


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かなりレアな本人出演写真です。影ですけどね。


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とにかくどこを見ても十字架、十字架、また十字架。


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ものの本に書いてある情報では、最初の十字架は1831年のロシア軍に対する蜂起の後、処刑・流刑に処された人々のために立てられたらしい、とのことです。


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女子および気の弱い男子に朗報です!ここは墓地ではないので死体は埋められていません。つまり、ヘンなものが写ったりするのを気にせずシャッターを切れるというわけです。


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キリストと思しきお方とか・・・


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マリア様と思しきお方とかもいらっしゃいました・・・


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こちらはダビデの星ですね。


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日本語が書いてある十字架も静かに立っていましたよ。


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丘がある草原に入るあたりにお店が出ていて、木製の十字架やらロザリオ?やらが大量に売られています。


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丘を一歩抜けるとそこにはご覧の景色が・・・なぜ僕はここにいるんだろう?ってな気分になります。


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なんだか綺麗な歌声が聴こえるぞ?と頭上をみると、ツバメ?がいました。なんとこのツバメさんが留まっているのも十字架でした!


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おいおい、七夕かいな・・?って具合に吊る下がってます。


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買ってきた十字架を皆様あちこちに立てて帰るんですね。私も買ってくればよかったかな。


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こちらにおわしますのはたいそう有名な憂うキリスト像、ルービントイエリスと言うそうです。


結局2時間くらいはうろちょろして過ごしていたでしょうか。世界には本当に不思議な場所があるもんですね。十字架ももちろん印象的でしたが、とにかく空も周りの自然もきれいで、深呼吸したり近くや遠くを眺めたり、田舎出身の実力をよく発揮できた時間だったと思います。十字架も自然も満喫した私は、13時過ぎのバスに乗ってシャウレイの街中に戻るべく、またゆっくりとバス停を目指して歩き出しました。


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実はこのリトアニア美人のお嬢さんはここへ来る時に同じバスに乗っていたんですよね。独特の形の楽器を抱えてすぐ近くにいたので「ひょっとしてこれ、カウナスの楽器博物館にあったカンクレス??」と思ったため覚えていたのです。実際に音を奏でる姿が見られるとは思っていなかったので大変嬉しかったのですが、「Labas!(こんにちは!)」と言ったらニッコリと応答してくれたこともこれに負けず劣らず嬉しかったのです、今の僕には(笑)素晴らしい空気に響く美しい音色に癒されました。音大の学生さんとかでしょうかね?十字架を買わなかった分を未来の大演奏家に寄付してきましたよ。


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来る途中に私を追い越していった軍団の皆様が休憩していました・・・この自然とは相容れない轟音とともにすぐに駆け抜けて行きましたけどね。


バス停から歩いてきた道を引き返していると、なんと前方から日本人大学生と思われる男女2名がやって来ました。日本語で話していたのですれ違いざまに「こんにちは」と挨拶をして無事すれ違い。彼らはこれから十字架の丘に行くのでしょうけど、何だかんだでこっちの方に来る日本人もいるもんなんですね。


さて、無事に日本人とのすれ違いを果たして安心していると、今度は頭上から何者かの鳴き声が聞こえてきました・・・来る時には気付かなかったけど、なんと大きな鳥が雛たちを育てていました!


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これは、コウノトリでしょうか?春にフランス・アルザスに行った時に見たのですが、巣の感じと直感でそう思ったのですが、鳥に詳しい方は是非とも教えて下さい。


そして、バス停に辿り着くと、今度は来る時のバスで一緒だった大和撫子の方が先にバスを待っていました・・・!いやあ今日は「会う日」ですね。周りに何もない田舎のバス停で日本人が2人きりとなっては私も観念するより他なく、挨拶をしてバスがちゃんと来るだろうかとか、今回旅行にきたいきさつだとか、色々とお話させて頂きました。プライベートで日本人女性とまともにコミュニケートするのは久しぶりだったのですが、関西出身の方で非常に接しやすく助かりました。油が切れたロボットのような動きになっていなかったことを信じたいのですが・・・(笑)


聞くところによるとこちらのN様(「やまと なでしこ様」より)はもともと東欧諸国に興味があったとのことですが、今回はゴールデンウィークと年休をあわせ、バルト三国を旅しておられるのだとか。エストニアのタリンに入り、ラトヴィアのリガ、そしてリトアニアのシャウレイと南下してきて、この後には同カウナス、ヴィリニュスへと抜けるそうです。なかなかのつはものですね!


バスはほぼ時間通りに来たのでスムーズにもとのバスターミナルまで戻ることが出来ました。朝から何も食べていなかったこともあり、また十字架の丘の周りは食べたり飲んだりする場所は皆無だったこともあり、カウナス行のバスまでの間、メインストリート観光および少し遅めのランチにN様にお付き合い頂くことになりました。というわけで、トコトコ歩いて中心部を散策します。


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シャウレイのメインストリートはこの辺りのはずなのですが、非常にこじんまりとしていて人通りも然程多くないです。ランチを摂るレストランを探しても、あるのはカフェみたいなところばかり。


街を歩いているとお爺さんがシニアカー(あの電動三輪車みたいなやつ)に乗って並走してこちらを見ていたので、「Labas!」と声をかけると「なんじゃ、中国、韓国、それとも台湾からか?」というので、「日本!」と応えておきました。「おじいちゃん、あと一歩東洋を掘り下げてくれよ!」とも思いましたが、やはり日本人はなかなか遭遇しないんでしょうね。いきなり「ニイハオ」とか言わなかったのは流石です。


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シャウレイのドラマ劇場にやって来ました。駆け出し俳優としてはとっても嬉しい機会です。


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ドラマ劇場付属のカフェの前にはこんな像があります。ここのカフェでもいいかな、とも思ったのですが、結局メインストリートにあるピザ屋(ヴィリニュスでも見かけたチェーン店)に腰かけました。


「仕方ないからピザ食べるか・・・」とも思ったのですが、メニューを開いてみると「リトアニア伝統料理」なんてページもありました。なるほど、どうやら1つのお店が手広く事業展開しているタイプなんですね。


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というわけで注文したチーズが乗った野菜のシチュー。エキスが沢山出ていてとっても美味しかったです。


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そして、カウナスで食べたのとはまた違う感じのツェペリナイを注文。こちらは半分に切られていましたが、焼くとか揚げるとかの違いなのでしょうかね?


あれやこれやおしゃべりをしつつ少し遅いランチを食べ終えお店を後にすると、15:00のカウナス行きのバスには少し時間が厳しいかな、というところだったのですが、15:30にもバスがあるので大丈夫、ということで後者に間に合うようにバスターミナルに戻りました。ところが、待てど暮らせどお目当てのバスがやってこない・・・よくよく時刻表をみると15:30という表示は確かにあるのですが、時刻の後ろにSという文字が書いてある。これが謎を解くカギに違いないと思い乗り場の近くにいたお婆ちゃんにロシア語で聞いてみたところ、恐らく地元の人ではなかったのでしょうか、「たぶん、Sは日曜日の意味だから、日曜日にしかない便なんだわ・・・」と。


なるほど、言われるとわかりますが、まあフツーの日本人にはまずわからないですよね。次のバスは17:00ということなので、それより前にカウナス行の列車がないか駅で確認もしたのですが、どうもうまい便がみつからず。なかなか街で時間をつぶす場所もなさそうなので、件のショッピングモール、ロシア語でいうところのТорговый центрの最上階のカフェにて紅茶やコーヒーなどを啜りつつ17:00のバスを待つ2匹でありました。ゆっくりランチを食べてしまったので15:00のバスを逃してしまい申し訳なかった限りですが、様々な旅先の話や、最近疎遠になってしまった(?)日本の話を色々うかがうことが出来てよかったです。


16:40ぐらいに再び乗り場に下りていくと、今度こそきちんとバスがやってきました。結構大きなバスで、その場でチケットを買って乗り込むタイプ。これならちゃんとカウナスに行けそうです。ランチと散策にお付き合い頂いた御礼とバスをずらしてしまったお詫びを申し上げ、N様をお見送りました。残りの旅も無事に楽しまれますよう。いつか大阪に行くときがあったら連絡しますので今度はたこ焼きでもご一緒しましょうね(笑)


さて、私の方の帰りの列車は17:20かそこいらだったので、こちらも急いで駅に向かいました。


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シャウレイの駅舎。両脇からプラットホームに出ることが出来ます。


急いで来た割にはまだ列車が入線していなかったので、ホームを歩き回りながら待っていました。ところが、待てど暮らせどお目当ての列車がやってこない・・・駅舎に入りよくよく時刻表をみると、なななんと!・・・時刻の後ろにどっかで見たことのあるSという文字が書いてありました!


この文字を見た時はひっくり返りそうになったのですが、私の後に窓口にやって来る旅人を見ている限り、同じ理由でひっくり返りそうになっていたタワーリシ各位が他にもいたようで思わずニンマリしてしまいましたよ(笑)


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ジタバタしても致し方ないですし、危険ではない旅のトラブルは出来るだけ味方につけたいものですね!これもまた旅である、として、近くをふらふら歩いたり、持ってきた本を読んだり、ぼんやりとしたりして帰りの列車を待ちました。


結局シャウレイを発ったのは19:06の列車で、ヴィリニュスのホテルに着いたのは22時過ぎ。疲れたこともあり今晩はご飯も食べずに寝ました。ここで一気にプラマイゼロに持ってこれたかもね!(笑)


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - リトアニア, 14:05
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