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ウクライナ週末紀行 其ノ一 6年ぶりのキエフへの旅(1日目)
タワーリシ各位、本日もお疲れ様でした。11月に入り寒さが一段と身にしみる毎日ですね。


さて11月1日と2日はベルギーでは祝日ということで週末を挟んで4連休となりました。休みなんだからゆっくり休めばいいものを、私はこの隙を見計らってウクライナのキエフを旅して参りました。ウクライナは日本人にはあまり馴染みのない国かもしれませんので、数回に渡ってこの模様をお伝え出来ればと存じます。


キエフと言えば中世の大国キエフ・ルーシ。言わばロシア・ウクライナ・ベラルーシの共通の祖国というような位置づけです。ロシア語でロシア語のことをРусский язык(ルースキー イェズィーク)と言いますがここにもこのルーシが隠れています。そして富山県の伏木港とウラジオストクを結ぶ監獄船、ではなくて貨客船?の名前はルーシ号ですよね。私も学生時代に今よりもずっとスリムでハンサムだった頃(笑)にルーシ号に乗ってウラジオに渡った経験があります。


さて今回利用した航空会社はウクライナ国際航空。略してМАУ(Міжнародні Авіалінії України)です。手頃な運賃でブラッセル国際空港とボリスピリ国際空港を繋いでいます。


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席に座ると早速ウクライナ語が目に入りました。似てるけどどこか違う、でも何となく意味はわかる、そんな愛らしい存在です・・・


飛行時間はほぼ3時間、13時半頃出発の17時半頃着で時差は1時間です。今回着陸時に拍手が沸き起こるかどうか非常にドキドキしていたのですが、無事着陸したことを知らせるアナウンスとほぼ同時に盛大な拍手が。すかさず私も拍手に参加してパイロットに敬意を表しました。他の目的地ではなかなか着陸時の拍手はないですが今回久し振りに体験出来て感激です。


空港に降り立つと入国審査がありましたが特にとんでもない行列にもならずに無事入国。モスクワでは1時間程かかった記憶がありますが、今はどうなんでしょうかね?


既に18時前で当たりは真っ暗。ボリスピリ空港からキエフ市内までは40km程あるため白タクのおっさんたちと交渉しようか、正規タクシーを使おうか、と迷って出口の辺りを歩いていると、まんまと白タクらしいタクシーの兄ちゃんが話しかけてきました。オフィシャルタクシーだから大丈夫だと言い張るもののどう見ても外見は普通の兄ちゃん、でも交通状況やら値段やらを聞いてみると割と親身に答えてくれるので、まあ大丈夫だろうということで乗車。ユーリーという名のお兄ちゃんはおしゃべり好きで、車内ではウクライナの選挙の話や暮らしぶりの話、サッカーのEURO2012のおかげで街が変化した話などに花が咲き、マシンガントークで責め立てられました。普段は空港タクシーとして張っているそうですが、個人営業で観光客に対するアパートメントの日貸しと市内のエクスカーションも行っているそうです。


お陰様で夕方の渋滞も難なく乗り切り独立広場(Майдан Незалежності)の上にあるホテル・ウクライナに無事到着。実のところユーリーはかなり良い奴で、滞在中に何かあればいつでも呼んでくれ、と名刺を残していきました。なかなかの営業上手ですね。


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ということで到着したホテル・ウクライナ。実はモスクワに留学していた2006年の全く同じ時期にもウクライナ旅行に来て宿泊したホテルなのです。つまり今回の旅は、6年前の自分の足跡を辿り、自分自身に再会する旅であるとも言えるのです!


「ウラー!ソ連の残り香を存分に満喫するぜい!」と意気込んで入ったホテルですが、受付のおばちゃんたちは親切で、どこから来たのか、何故ロシア語がわかるのかを一通り聞かれ、無事チェックイン完了。



ちなみにここのホテルにはカードキーなんて近代的なものはございません。ご覧のように各階のリフトを降りると鍵番(Дежурная)のお婆さんかおばさん、運がよければお姉さんがいて、部屋に向かう時は「○○号室です」と言って鍵を受け取り、外出する時はこちらに鍵を預けて行きます。よく言えば自動化によって失われた人と人とのコミュニケーションがここにはまだ残っているわけですな、まあ、大概が無愛想ですけれども(笑)


部屋に入って一通り荷物を落ち着かせるとしばし休憩。その後、時計の時差を修正すると20時を回っていたので付近を散策がてら夕飯を摂りに出かけました。折角来たのだからウクライナ料理でも食べようか、と思い地球の歩き方を広げたのですが、実はホテルからの行きやすさを考えて既に初日はここに行ってみようと目星をつけていたレストランがあったのです。そんなわけで早速外出。


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ホテル脇の通りの斜面には大きな花時計があります。前回来た時にもあったのでしょうが記憶が戻らず・・・


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独立広場からの1枚。ホテル・ウクライナは丘の上に建っていて、その下にはグローブスというショッピングモールのような施設が入っています。営業時間中はこの中を通り抜けてホテルと街の行き来をした方がよっぽど近いですよ。


独立広場の前には軍事車両やら戦車やらが色々と展示されていました。どうやらこの週末は大祖国戦争(独ソ戦)のうち、ナチス・ドイツからキエフが解放されて69周年という祝日にあたる模様です。ウクライナ軍やミリツィヤのタワーリシ各位もかなりの数が動員されているみたいで、街の至るところで彼らのを姿を目にしました。


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「ГАЗ - М1」という車。私は軍事マニアでも何でもないのであまりその凄さがわかりませんでした・・・右側のタワーリシ各位は新作アネクドートの交換、ではなくて寒い中での警備、ご苦労様でございます。


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戦車も展示されていました。祖国というものについて皆さんは日頃意識する機会がありますか?


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メインストリートであるフレシチャーティク通りを超えた側からの1枚。写真左下には新作アネクドートを交換しながらパトロールをするタワーリシが2名写っています。


そんなわけで、今宵の夕食には独立広場から程近いところにあるКрим(クルィム)というクリミア・タタール料理のレストランに突撃しました。


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地下に降りていくと、クリミア・タタール人顔をした娘さん(どんな顔でしょうか笑)が、若干当惑した感じで挨拶をしてくれました。あまり混んでおらず、どこでも好きなところに座っていいよというのでお言葉に甘えてお座敷、というか靴を脱いで座る席にゆったりと座らせて頂きました。


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店内は間接照明でいい感じ。私が座ったところは通路より一段高くなっているテーブル席。靴を脱いで足を伸ばしてくつろげる場所でした。キエフにこんな空間があったとは驚きです。


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雰囲気はかなり良く、まるで女子会も出来るお洒落レストランの体です。在キエフ独身日本人諸氏の合懇にも使えるんじゃないかしら?(笑)


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というわけでチェルニーゴフスキーというビールとピスタチオでこの日の夕食がスタート。テーブルを担当してくれたのはクリミア・タタールの民族衣装を身に纏った何だか親しみのある顔立ちのウェイトレスさんです。こちらがロシア語を解すことが判ると一層親切になりました。


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お昼も食べず機内食をパスしたためお腹はペコペコ。いつもの通り調子に乗ってメニューを頼んだのですが、手前がタタール風サラダ(Салат по-татарски)、左奥からレピョーシュカ(Лепешка)というパン、中央がラグマン(Лагман)、そして右側が肉入りのチェブレキ(Чебуреки)です。さてこの中央のラグマン、以前ラトビア・リガを訪ねた際にも食べたのですが、私はてっきりウズベク料理だと思っていました。そこでその旨をお嬢さんに尋ねてみると、「う〜ん、完全にウズベク料理ってわけでもないわ。クリミア・タタールの女の子なら普通に作れるわよ」との答え。これを好意的に解釈するなら「私ならあなたにラグマンを作ってあげられるわよ、うふふ」ということになるのでしょうね。何だかこれだけで幸せです。但しレピョーシュカは頼んでない気がするんだけどね・・・


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朝、昼とカロリーはマイナスだったのですが、結局のところいつもの通り完食(笑)初日は到着したのみでまだ観光も何もしていませんが、この写真では既に「来てよかった感」が漂い始めています。


結構ゆっくりしてしまいましたが親切に給仕をしてくれたお嬢さんにお礼を言って退出。外では22時を過ぎても結構人通りがあるんですね。腹ごなしということで広場の周囲やフレシチャーティク通り沿いをしばらく歩いてからホテルに戻りました。明日の天気予報には雨マークが出ていたので心配ですが、雨がひどかったら博物館や美術館をじっくり見学すればいいでしょう。地球の歩き方をパラパラめくっているうちにこの日は就寝したのでした・・・


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 15:00
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ウクライナ週末紀行 其ノ二 雨模様だけど朝からハッピーな体験が!(2日目)
キエフ2日目の朝、起きてから外を見ると小雨がパラついていました。まあ、この程度なら街歩きも出来るだろうという程度だったので、早速シャワーを浴びて出かける仕度をしようとしたところ・・・!


なんと、シャワーから、温水が、出ない・・・!


普段出るはずのモノが出ない、ああそうかここはウクライナなんだ、と焦りの前に感動すら覚えてしまいました(笑)


ロシアでは毎年そうだと思いますが、冬の間の暖房にセントラル・ヒーティングを利用しているため夏の間に給湯管関係の総点検だとかで温水が全く出ない期間が1ヶ月程あります。モスクワに留学していた時分も例外ではなく、夏なのに非常に寒い思いをして冷たいシャワーを浴びていたことを思い出しました。まあ、思い出したのはいいのですがこの時期に冷水シャワーは流石に困るということで、取り敢えず温水を出しっ放しにしておけばやがてアツくなるかもと期待してしばし放置。


ところが、一向に、温水が、出ない・・・!


さあて困ったぞ、フロントに電話をするようかなあ、なんて思っていたのですが、まさかの一案にトライしてみました。そうです、温水と書かれている蛇口をひねってもダメなので、冷水と書かれている方を勢いよくひねってみると・・・


で、出ました、温水が出ました・・・!ウラー!


最初は少し冷たかったけどすぐに温かくなってシャワーには問題ないくらいのお湯です。それにしても温と冷が逆になっていて直っていないということは、これまでの宿泊客はこうしてお湯に辿り着き、特にホテル側に知らせなかったのでしょうかね?初めはお湯が出なくって喜び、その後まさかの手段でやっぱりお湯が出て喜ぶという二重にハッピーな体験を朝からしてしまったのですが、こんな具合ですのでホテル・ウクライナの935号に宿泊される方はお気を付け下さいね。私も特にホテル側に何も伝えずに帰って来ましたのでね(笑)


そんなこんなで無事にシャワーを済ますことが出来たのでいよいよ街歩きに出発。どこから観てまわろうか迷ったのですが、とりあえず世界遺産のペチェルスカ大修道院に向かうべくメトロ駅に入ります。



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これこれ、この景色!(笑)モスクワの地下鉄ほどの速さではないですが結構なスピードで結構な傾斜を下って行きます。


キエフのメトロに乗るにはジェトンというプラスチック製?の青いコイン(こども銀行の貨幣のようなもの)を買って改札に投入し、その後ホームのある地下に潜って行きます。ХрещатикからАрсенальнаまでは1駅で、その後にバスに乗って修道院の入口まで来ました。ちなみに運賃はそれぞれ2グリブナ。いかにもって感じのポンコツバスでしたが雰囲気が出ていていい感じでした(笑)


10分もしないうちに修道院の入口近くで降車。前回来た時の記憶が朧気ながら蘇ります。ドニエプル川沿いの斜面一帯が城壁で囲まれ、その敷地内に様々な博物館や教会が広がっています。ウクライナ正教の総本山と思っていたのですが、ウクライナ正教はモスクワ総主教の庇護下であるそうで、それ故地球の歩き方にはロシア正教ウクライナ支部の総本山という記述があるのかな、と思いました。



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入口近くの建物の裏手には黄金のスライム・・・ではなくて、これは交換用のスペア?謎です・・・


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修道院のテリトリーはドニエプル川沿いの斜面に広がっているため、従って坂道がとても多いです。院内は「上の修道院」と「下の修道院」と呼ばれる部分に別れていて、前者には協会や博物館が、後者には地下墓地が主にあります。


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久しぶりのコーシュカ・ブログ候補?(笑)人間には慣れきっている様子でした。流石修道院で暮らしていらっしゃる!


修道院内をトコトコ歩き回っていたのですが、雨が結構強くなってきて折り畳み傘をさして回ろうにも風も出てくる始末・・・こんな場合には博物館をじっくり見学するに限りますよね。ということで、「上の修道院」にいくつかある博物館を見学することにしました。


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ウスペンスキー大聖堂。この聖堂を取り囲むように教会、博物館、大鐘楼などがあります。


まず私が入ったのが国立ウクライナ民族装飾博物館。様々な織物や刺繍、民族衣装、陶器、絵画などかなりの点数が展示されています。入口のところでコートや傘を預けなくてはならない点、何だか懐かしさを覚えました。


というわけで、以下では展示の様子を写真にてお伝えできればと思います。


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見学順路は2階から。素敵な織物がたくさん壁にかかっています。


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隣のホールにはウクライナの様々な地域の民族衣装が展示されていました。


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似ているようでみんな違って面白いですね。どのような美人がこれを着て暮らしていたのでしょうか・・・


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この男女の民族衣装なんか、すごくファッショナブルだと思ってしまうのですが、私だけでしょうか?西部のІвано-Франківськ(イヴァノ・フランキウシク)の辺りのものだそうです。


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他のホールにはパスハの卵のような飾り物がたくさんありました。曲面にこうした模様を描くのはとても難しそうですよね。まあ、私には平面だって無理ですが(笑)


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ギタリストとしては見逃せない一点。弦の数は、9本でしょうか?どんな音色がするのか聴いてみたかったです。


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隣の棟の2階には絵画や編み物など、そして1階には比較的新しいと思われる陶器やガラス細工などがあり、本当に様々な種類の展示物を楽しむことができますよ。


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何とも言えない味が染み出ています・・・


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カラフルな色使いが目立ちますが、これは春の一場面なのかな?お約束通り男性はヒゲを生やしていますね。


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牛、というかバイソンでしょうか?


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1階の壁にかかった各種の織物。絨毯を壁に掛けている家が結構ロシアでは多かった気がしますが、これは壁掛け用なのでしょうかね?


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他にも様々な陶器やガラス細工が展示されています。惜しむらくはもう少しウクライナ語を勉強していけばまた少し違っていたでしょうね。


外は雨が降っていたため結構ゆっくりと見学することが出来ました。日頃オフィスでパソコンの画面ばかり見ているもので、このような機会に博物館や美術館をじっくり見学するのもいい機会です。


次に向かう先は国立ウクライナ演劇音楽映画芸術博物館。駆け出し俳優として胸が高鳴ります!


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 23:16
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ウクライナ週末紀行 其ノ三 ペチェスルカ大修道院のツンツン嬢アーニャとの出会い(2日目)
というわけでやってきました国立ウクライナ演劇音楽映画芸術博物館。院内のメインストリートからは少し離れた場所にあるため、あまり訪ねてくる人が多くないように思われます。


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なかなか素敵な立て看板を通り過ぎると・・・


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入口はこんな感じの博物館です。天気のせいか立地のせいか、訪問客がとても少なかったです。


受付で入場料を払っていると館長とおぼしきおじさんがやって来て、「よく来たねキミは、中国から、それとも日本から?」と質問をしてきました。僕は日本人です、と答えると、「そうか!日本からか!いやいや、日本人には聞いてみたいことがいっぱいあったんだが、少しこちらへいいかな?」といって受付脇へ。


おじさんはどうやら東洋の言葉に興味があったみたいで、「中国には数え切れないほどの漢字があるそうだが、日本語ではどうなんだね?聞くところによると漢字も含めて3つのシステムがあるそうじゃないか。我々のキリル文字は33個だが、そんなに多くて混乱しないのかい?」と目を輝かせています。


さあて困ったぞ、、、日本語はこの3つのシステムを組み合わせて文を作っている、ひらがなカタカナはそれぞれ50音あって、カタカナは例えば外来語など既述するのに用いる、まではまあいいとして、漢字って何語あるんだっけ・・・?当てずっぽうで、「日常で使わないものも含めるとざっと1万はあるんじゃないですか?」と答えてしまいました。おじさんは仰天していたようだったので、「小さい頃から学年に応じて習う漢字の数が決まっていて段階的に学習していくのですが、それでも日頃使う漢字はずっと少ないと思います」とすかさずフォロー(笑)


おじさんはふむふむとうなづいた後、知っている日本語のフレーズが本当に正しいかどうか直してくれと言って、おはよう、だとかさよなら、だとかこんにちは、だとか一通り聞かされてレッスン終了。おじさんは「時間をとらせちゃって、スマンかったね」と言っていましたが嬉しそうだったので万事OKでしょう。


ということでようやく内部の見学を始めます。


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入ってすぐの右側に、木製の回転舞台がありました。3つの舞台があり人形劇などで使われていたそうです。


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モスクワのマールイ劇場付属の演劇大学にもその名が冠されているミハイル・シェプキンの肖像画。


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グリボエードフ「知恵の悲しみ」が1881年にキエフで上演された時のポスター。


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こちらの厳しい表情をしている方がかの有名なA・オストロフスキーです。モスクワのマールイ劇場は別名「オストロフスキーの家」とも言われています。マールイ劇場の脇には彼が記念像になって堂々と座っているんですよね。彼の作品を原書で必死こいて読んでは劇場に通っていた留学生活が懐かしいです。


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こちらはマリア・ザニコヴェツカヤというウクライナの舞台女優が実際に使っていた化粧台だそうです。あまり人がいなかったせいか、学芸員のおばちゃんたちも親切に説明をしてくれたり、なぜロシア語が解るのか、キエフは気に入ったか、などと質問攻めにしてくれます(笑)


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チェーホフの「桜の園」!今年の外語祭の語劇もこれを上演するそうで、観に行けないのが残念な限りでございます。


2階には19世紀の演劇衣装、ウクライナの民族楽器、そしてウクライナ語の戯曲作品上演記録と思われる展示がたくさんありました。


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右側のは当時のカメラでしょうね・・・持ち運んで撮影するのは非常に難しそうですね。


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2階の展示は本当に知らないものばかりだったのですが、なんとなくロシアの芸術様式とはまた違ったタイプのポスターが多かった気がします。


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単に私が上の2枚のようなタッチに馴染みがないだけかもしれませんが、もし詳しい方がいましたら是非とも教えて下さい!


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2階には本当に観光客がおらず、アーニャという若い娘さんがホールの電気をつけたり順路を案内してくれました。普通だったら若いウクライナ人の娘さんが付きっきりなんてラッキー!と思うでしょう?ところがこの娘さん、典型的な、というか筋金入りのソ連式サービスを実行するもんだから、案内されているよりは警戒・監視されている気分でした。愛想なんてもちろん皆無(笑)それでも何とか雪解けを、と思って色々と尋ねてみるのですが、ある程度の内容を超えると「その質問に答えるのは私じゃないわ」なんて言われて閉口。もし私がウクライナに留学でもしていたら通いつめて雪解けを実現するところですが、流石に今回は初回ということもあり、引き分けと致しましょう。え?惨敗だって?(笑)アーニャは館長とは真逆の態度でしたが、まあこれも貴重なツンデレ嬢ならぬツンツン嬢ということで懐かしい体験をさせて頂きましたよ。


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アーニャに頑張って質問してみたところ、月に数回プロの演奏家を呼んでこれらの民族楽器のコンサートを行っているんですって。


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大体がバンドゥーラの仲間なのでしょうか・・・?とにかく音色が気になるところです。


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真ん中左のふた首ギターもそうですが、左側の鍵盤と弦が組み合わさったのも気になります・・・


順路の最後がこの民族楽器コーナーだったのでここで見学は終了。最後にアーニャがЗаходите еще(またお越し下さい)と何の抑揚もなく台本を棒読みするような感じで言ってくれました(笑)1階に降りて館長その他、色々と世話をしてくれたおばさん、お婆さんたちに挨拶をして博物館を後にしました。温度差はありますがとっても親しみのある博物館でしたので、興味のある方は日本に関する質問を恐れずに訪ねてみて下さいね。


その後、相変わらず雨模様だったのですがいくらかマシになったので下の修道院に降りて地下墓地を見学。入口で明かりをとるためのロウソクを買って洞窟内に入りました。


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中央右手の入口が「近い洞窟」という地下への入口です。


地下墓地の洞窟の中には礼拝所と遺体安置所が点在しており、代々の修道僧が葬られてそのままミイラ化した遺体が安置されています。ミイラはガラス張りの棺に横たわり聖衣を纏っているのですが、たまに手が見えていたりしてギョギョっとしてしまうことも。正教の信者の方は涙を流しながらこういった棺に接吻を繰り返していました。毎度思いますが宗教ってなんなんでしょうね・・・


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下の修道院も一通り歩いて回ったので、お腹も減ったことですしこの辺りでペチェルスカ大修道院を切り上げます。次はどこに行こうかと思ったのですが、チェルノブイリ博物館に向かうことにしました。


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 21:45
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ウクライナ週末紀行 其ノ四 チェルノブイリの祈りと体重増加の焦り、とは言いつつもそれほど焦っていない自分への焦り(2日目)
ペチェルスカ大修道院からバス、メトロで来た道をを引き返し、ХрещатикからМайдан Незалежностіへ乗り換え。そこから北に2つ目のКонтрактова Площаで下車します。


既に14時過ぎだったので結構お腹が空いていたのですが、レストランに入ると何だかんだで時間がかかってしまいそうだったのでどうしようかと迷っていると・・・シャウルマ屋が目に飛び込んで来ました!1度は食べたいと思っていたので速攻で駆け寄って「おやじ、シャウルマ1つ」とすぐさま注文します。18グリヴナ也。久し振りに食べたシャウルマはとっても美味しかった!・・・でも夢中で食べてしまったので写真はありません(笑)もしまたチャンスがあれば撮ることにしましょう。(シャウルマをご存知ない方は、ケンタッキーのツイスターを思い浮かべて下さい。あれの中身がチキンではなくてケバブのようなエスニックになっている、中毒性のある食べ物です)


さて、チェルノブイリ博物館は駅から10分もしない距離にあります。2006年に来た時は随分迷った気がしたのですが、今回は難なく到着。URLは下記の通り。英語のページとバーチャルツアーもあります。http://www.chornobylmuseum.kiev.ua/index.php?lang=ru


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入口の脇にはチェルノブイリ原発事故が発生した年である1986と書かれた車両が並んでいました。


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ウクライナ語では「チョルノーブィリ」といったところでしょうか。


中に入ってみると中学生か高校生と思しき団体がいて非常に混雑していました。キエフより北方のチェルニーヒウから来たそうです。


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1階のフロア脇には3.11.の東日本大震災に対する応援メッセージが「キエフの栗の木より」として掲げられていました。



中央のスクリーンには震災の悲惨な場面が映し出されており気が沈みましたが、この温かいメッセージを読んで感激を覚えました。1969年までキエフには街の紋章はなく、「鎌と鎚」(ソ連の国旗・国章と同じ)だったそうですが、その後に栗の木がキエフのシンボルになったそうです。見て快く、その葉と花が非常に整然とした形であるのが理由であるとのこと。つまり街全体で震災復興を応援してくれているのですね。被災地にもきっとこの祈りは届いている筈です。


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本格的な展示は2階から始まります。


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概してこの博物館の展示からは恐怖感や不気味さ、焦燥感のようなものを感じる部分がありました。史上最悪の原子力事故とされているので無理もないでしょうか。


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立ち入り禁止区域地図、でしょうかね。


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内部はあまり説明が豊富でなく、展示された資料などから各々がその威圧感を感じ取るといった具合です。


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時計の1時23分は4号炉で原子力事故が起きたまさにその時刻を指し示しています・・・


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汚染地域地図ってやつでしょうか、、、


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こちらは、線量を測る器具ですよね?何の説明もなしにホール真ん中に立っていました。


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広島の皆さんからの応援メッセージも展示されていました。


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左側の天使と右側の作業服、、何だか不気味なコントラストです、、、


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Blue areaと呼ばれるホール。無数の子供たちの顔写真や、清掃作業、診療・治療などに関わった方々の様々な場面の写真が展示されていました。


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え〜とすみません、名前を失念しましたがウクライナ人の方が描いた「絆」のプラカード。


チェルノブイリ博物館でも結構ゆっくりしてしまいましたが、史上最大の事故の博物館とあって各地から訪れる人があとを絶たない模様でした。ホール入口近くのゲストブックに記帳する際にパラパラとめくってみたのですが、様々な国の方がメッセージを残しており、その中にはもちろん日本人も含まれていました。


実は今回キエフに来る際にチェルノブイリ・ツアーに申し込もうかどうしようか私は非常に迷っていたんですね。震災後の福島をこの目で見たことはないのですが、事故発生から26年目のチェルノブイリを目にすることで、様々な条件は違えどひょっとして未来の福島の一部分が垣間見えるんじゃないかと思ったのですが。今回は非常に悩んだ挙句、「僕、長男だしまだ独身だから」という理由(笑)で市内観光をすることにしたのです。それでも、またチャンスを見つけていつか訪ねてみたいな、という気持ちは少しあります。


外に出ると雨が上がっていたので、周囲を見回しながら歩きでホテル方面に向かいました。雨の中歩き回り結構消耗したので、夕飯に出る前にホテルで一息つくことにします。昨晩はクリミア・タタール料理だったので、今晩こそはウクライナ料理を食べねばなるまい!ということで、毎度お馴染み地球の歩き方を捲り、それほど遠くないウクライナ料理レストランがないか探します。ちょうどホテルから歩いていける範囲にБудьмоというレストランを発見したので今晩はそこに突撃することにしました。チェルノブイリ博物館では若干沈んだけど、ここで挽回するぞ、ウラ〜!ってな具合です。



こちらが今回訪れたレストランБудьмоです。何故明るいのかというと、翌日の街歩きの際に通りかかってパシャリとやったからなのですね。ちなみにЛаскаво просимоとはウクライナ語で「ようこそ」の意。


というわけで、皆様毎度毎度恐縮ですが、我が乱暴な食欲が襲いかかったウクライナ料理を紹介させて頂きます!昼間シャウルマしか食べなかったんでかなりお腹空いてたんですよ、いやもうこれは食べ歩きブログと化したかな(笑)



皆さん、これが何だかわかりますか・・・?そうです、これはウクライナの麻薬ことサーロ(Сало)です。これは見ての通り豚の脂身の塩漬けなのですが、これにご覧のようにからしを少し乗せて食べると抜群にウマいのです!今回は翌日の観光もあるのでウォッカを飲みませんでしたが、これをつまみにすれば朝まで語り尽くせること間違いなしでしょう!ウクライナ人のサーロ好きは笑いのネタになるほどで、私が学生時代、ノヴォシビルスクにホームステイした先のお父さんは「ウクライナ人はサーロが好きすぎて1日でもサーロを食わないと死んじまうのさ、ひっひっひ」と笑っていたのを覚えています。(ここで突然、「そういえば最近、アネクドートの記事を全然書いてないなあ、、」と思い出す)


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リヴォフスキービールに、黒パンとサーロ、そして魚の燻製・・・何も文句はない筈なのですが、お向かいの席に座る人はいないんだなあ・・・「桜の園」のトロフィーモフの台詞 "Вот они тут, в кармане. (Тревожно.) А калош моих нет! "という気分でした(どんな気分だ笑)


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そして、こちらがウクライナ料理の大関、ボルシチです!まあ、大関かどうかは別として、もともとはウクライナ料理なんですよねボルシチって。にんにくオイルがかかったパンと一緒に供されました。寒い中を歩き回った体もこれで完全に温まります。


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それでもなぜかコースターはベルギービール(笑)


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そして、準備運動を終えた私がメインとして注文したのは・・・そう、キエフ風カツレツです!サーロ、ボルシチ、キエフカツ、もはやウクライナの三役と相撲を取った気分です(笑)博多でとんこつラーメンをすする、広島でお好み焼きを頬張る、北海道でジンギスカンを食べるのと同じように、キエフではキエフ風カツレツに喰らいつくのです。


いつもの通り調子に乗って注文したおかげでお腹はパンパン(笑)ウェイトレスさんもとっても親切で、地元の人も割と入っているみたいでした。大満足のウクライナ料理。アルコールも手伝ってかなりリラックス出来ました。


まあ、いつものことですが言わずもがなカロリー超過ですので、帰りはホテルに向かいつつも地下通路やフレシチャーティクをうろちょろして運動をしてから部屋に戻ることにします。日中はカバンやら傘やらありましたが、手ぶらでうろつくのは楽ですね。何かあった時にもすぐに逃げられますしね(追いつかれなければですが)。


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小雨が降っていましたが、写真左下のタワーリシ各位のアネクドート大会は終わる気配がありませんよ・・・


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ホテルに帰る途中のグローブスの中に入っている寿司屋。СУШИЯと書いてスシヤと読みます。トロなのかサーモンの握りなのかわかりませんがこのゆるキャラはなかなか可愛らしくて気に入りました。


天候が崩れ気味でしたがよく街を歩いたので心地よい疲労感を感じ、ホテルにつくとごろごろして間もなく消灯。日曜日(4日)の午前中の便でブラッセルに帰るので明日3日の土曜日で観光は実質最後です。最後の1日はどう使おうかな、と思案していたのですが、いい機会だし明日の昼過ぎには少し工夫してみよう、と、そんなことをぼんやりと思い浮かべながら眠りの世界に入って行きました・・・


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 00:16
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ウクライナ週末紀行 其ノ五 綺麗なおねいさんならまだしも、おっさんに狙われていたとはね・・・(3日目)
キエフ滞在3日目、朝起きるとどうやら雨は上がっている模様。まだ少し雲がありますがこれなら充分を街を歩けます。そんなわけですぐさま冷水の方をひねって無事に温水シャワーを浴び、街歩きに出発。


前回来た時に行っていない場所ももちろんありますので、カロリー超過を緩和すべく、とにかく歩き回りますよ今日は!


ところで昨晩考えていた一案というのは、初日に空港からホテルまで送ってもらった個人営業タクシーの運ちゃん・ユーリーを呼ぶこと。彼はアパートの日貸しと市内エクスカーションもやっているとのことですので、午前中は出来るだけ自分の足で街を歩き回り、午後の数時間を利用してキエフ・ドライブに連れて行ってもらう、と。自分が訪ねた場所の他に何か面白い提案を引き出せるかもしれないのでそれを期待しよう、ということです。既にユーリーとは13時に約束をしてありますので、それまでは縦横無尽にキエフを闊歩しますぜ。


昨日と同じく早足でメトロに向かい、Хрещатикから2つ先のУніверситетを目指します。モスクワにいる時分、不幸にも1度だけ地下鉄で殴られたことがあったのでメトロを利用するときは特に気が引き締まりますね。スリみたいな胡散臭いおっさんや、ハードロック・ヘビメタ信奉者のようなスキンヘッドの兄ちゃんがいないか常に気を遣っているのは意外に疲れます・・・


Університет駅を上がるとタラス・シェフチェンコ大通り(бульвар Тараса Шевченка)に出ますので、まずはこの通り沿いを東に進みウラジーミル通り(Володимирська вулиця)方面を目指します。


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タラス・シェフチェンコ大通りの並木道。両側の車道の交通量はかなりのものです。


通り沿いにはウラジーミル聖堂があるので立ち寄ってしばし内部を見学。


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ウラジーミル聖堂。黄色の外壁とはなかなかユニークな感じを受けました。バスなどで乗りつける観光客も結構多かったみたいです。


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内部はかなり迫力がありました。ちょうどミサ?がやっていて説教と思しきウクライナ語を聞くことが出来ました。実際は写真よりもう少し薄暗いかもしれませんが荘厳な雰囲気が漂っています。


聖堂を出てしばらく歩くとウラジーミル通りとの交差点に行きあたります。交差点手前の右側一帯が国立キエフ大学の植物園。交差点を右に曲がると大学の建物が見えてきました。


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はい、ということでシェフチェンコ記念キエフ大学。真っ赤とは聞いていたのですが、実際見てみるとまさに真っ赤ですね(笑)地球の歩き方に拠ると「ロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として、建物を血の色で塗り潰すよう命令した名残」だそうです。インパクトはかなり強烈ですね。


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大学の向かいの一帯は公園になっていて、その中央におわすのがこのお方。詩人のタラス・シェウチェンコ大先生です。ロシア語風にシェフチェンコと表されることが多いようですが、一応(というか正真正銘か笑)ロシア語学・ウクライナ語学のゼミ員だったのでここではシェウチェンコと記しました。順位をつけるのは難しいかもしれませんが、ロシアだったらプーシキン、ウクライナならシェウチェンコという具合でしょうか。


公園内の売店で朝食替わりのピロシキを1つペロリと食べてしまった後はウラジーミル通りを逆の方向に進み、そのまま北上します。フレシチャーティク通り(Хрещатик)は買い物やカフェなどで賑やかな通りですが、こちらウラジーミル通り沿いにはキエフの見どころが連なっていますので、初めてキエフに来た場合はこの2つの通りを歩けばバッチリ。結構時間もかかると思います。


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「ふふふ、カロリーが消費されているのをじわじわ感じるぜ・・・」とニンマリしながら歩いて行くとシェフチェンコ記念国立オペラ・バレエ劇場がありました。実は今回の旅程の中に演劇鑑賞も加えたかったのですが、原書で読んだことがあってわかるような演目がなかったため見送り。次回は音楽・バレエも選択肢にしたいと思っています。


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ウラジーミル通り沿いの建物は面白い色使いのものが多いです。この他にもカラフルな建物がいくつも見られました。


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こちらは黄金の門でございます。同じ名前のメトロ駅がすぐ近くにあるのですが、Університетからでも充分歩いて来られますよ。1240年に蒙古軍に破壊されバトゥ・ハンがこの門を通ってキエフ入城を果たしたとか。高校世界史で「13世紀はモンゴルの嵐」と習いましたが、スラヴ地域への理解を深めるためには要スタディですな。


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黄金の門を脇から見るとこんな感じです。中学生くらいの社会科見学?的な訪問者が多かったです。


黄金の門を過ぎるて500mほど歩いて行くとソフィア大聖堂が面しているソフィア広場に行きあたるのですが、この区間で私はドキリとさせられました・・・


人通りは然程多くないウラジーミル通り。先程から1人の男性が私の近くを行ったり来たりしているような気がしていたのですが、、、50代くらいでしょうか、手には畳んだ地図のようなものを持ってタバコを吸いながら歩いています。観光客にしては身軽過ぎるけど、いかにも街を見物しているような感じで時々立ち止まっては建物を眺めたりしています。この通りでずっと抜かしたり抜かれたりしてるけど、前を歩いてるあの人もこの先のソフィア聖堂に行くのかな、なんて思っていた矢先!なんとその人が横断歩道の手前でポトリと財布のようなものを落としたじゃありませんか!見た感じ透明のケースで中にはドル?が入っていたようでした。


親切な人なら「あの、お財布・・・」と言って落としたことを知らせるでしょうが、実は観光客を狙ったこの手口の詐欺がキエフでは多いんだそうです。「財布拾い」といってあたかも偶然に財布を拾った体で観光客に近づき、これは君のものではないかと尋ねている際に相方が登場、これは自分が落とした財布だけどどうやら入っていたお金が足りない、などといって難癖をつけお金を請求したりするそうです。私は幸い事前にこの情報を得ていたので、どきりとはしたものの「ははあ、こいつが財布拾いだな、残念だけどひっかからないぜ」と直角に進路を変更して迂回、通り過ぎる際にギロリと見遣ってやりました。こちらも急に進路を変えたのであちらも恐らくバレたと思っていたのでしょうか、そのまま脇の道へと消えて行きました。おそらく相方の車の方にでも向かったのでしょう。


ということでタワーリシ各位!キエフ旅行の際にはこういう輩に注意して下さいね。私も一瞬は「警察を呼ぶかここから立ち去るかどちらがいい?」なんて言ってやろうかとも思ったのですが、こういうケースは無視するのが最善の策でしょう。これまで平和に街を歩いて来ましたがやはり日本人(というか東洋人)は目立つのでしょう、余程気をつけねばならないなと再認識するいい機会でした。それにしても、財布を落としたのが綺麗なおねいさんだったらダメだったかもしれないですね。今回は相手がおっさんでよかった(笑)


さてさて、このようにして辛くも?難を逃れた私はソフィア聖堂のあるソフィア広場に無事にたどり着いたのでした・・・


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 23:16
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ウクライナ週末紀行 其ノ六 「どうしてなの 今日にかぎって 安いシャウルマを 食べてた」(3日目)
財布拾いをヒラリとかわして辿りついたソフィア広場。ここからはソフィア大聖堂だけでなく聖ミハイルの黄金ドーム修道院も見えるため、広場には観光客がとっても多いです。鷹匠?のような女性もいて腕に鷹を乗せて写真を撮るサービスを提供していました。少し迷いましたが今回はパス。


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広場にはボフダン・フメリニツキー(Богдан Хмельницький)の像もあります。17世紀コサックの指導者であり、ウクライナ史上最大の英雄という位置づけだそうです。


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世界遺産のソフィア大聖堂。1037年に建てられた現存するキエフ最古の教会です。外観は17世紀後半に再建されたとか。ウクライナ・バロック様式。


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聖堂の脇では少し神がかった感じの男性がバンドゥーラを弾いていました。隣は観光に来ていたおばさんですが、ウットリしちゃってましたね・・・


ソフィア大聖堂を見た後は近くの聖ミハイルの黄金ドーム修道院に向かおうかとも思ったのですが、結局歩いてきたウラジーミル通りをそのまま進み、アンドレイ坂へ向かいます。アンドレイ坂には土産物の露店がたくさん出ていて観光客で非常に賑わっていました。こちらでは坂ですが、モスクワの旧アルバート通りみたいなもんでしょうかね。


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ウラジーミル通りとアンドレイ坂の交点にあるアンドレイ教会。往き交う人々を丘の上から見下ろしています。


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内部では司祭のような方と他数名が聖歌?を歌って祈りを捧げているところでした。赤い祭壇がとても印象的ですね。


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写真撮影で結構な人だかりが出来ていた記念像。どなたとどなたでしょうか、と思って調べてみたところ、ソ連映画の"За двумя зайцами"の登場人物だそうです。私はこの映画を知りませんでしたので近々観てみますね。


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映画の題名が「二兎を追うものは」というような具合なので、多分2人の女性を追っかけて最後にズッコケるみたいな話なのでしょうかね。しかしこのクワガタは何をしているんだろう・・・?本編と関係あるのかな?


13時までにホテルに戻らねばならないので、アンドレイ坂は下らずに聖ミハイルの黄金ドーム修道院の方へ向かうことにしました。


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ミハイル広場にあるオリガ公妃像(中央)。ウラジーミル聖公の祖母であり、キリスト教に改宗して聖人になったそうです。向かって左方は伝説の聖人アンドレイ。約1000年前にキエフで最初に説教をしたらしいです。先ほどのアンドレイ教会は彼にちなんだ教会ですね。そして向かって右方が、キリルとメフォージー兄弟。スラヴ人に対してキリスト教を布教したと伝えられるビザンチンからの使徒です。「キリルって、キリル文字のキリル?」となりがちですが、キリルが作ったのはキリル文字ではなくグラゴール文字であり、キリル文字はそれより後にグラゴール文字とギリシャ文字を土台に作られた、と習った記憶があります。今思えば古代教会スラヴ語を学んでおけばよかったかなあ・・・ま、挫折していた可能性も充分ありますけど。


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ミハイル広場側からはこの綺麗な空色の鐘楼をくぐって修道院の中に入っていきます。


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聖ミハイル聖堂。ウクライナ・バロック様式。何とも言えない色ですね。もう少し空が晴れていたらもっと良かったのに!


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みんなで集まって何をしているのかと思ったら、硬貨に水をつけてこの四方の突起部分に貼り付けているところでした。うまく貼り付いたらいいことがあるとか何とかで、私の右のおばさんがピタリと貼り付けました。写真ではそれを受けて女の子が一生懸命に硬貨を押さえつけています(笑)残念ながら効果はなかった模様です・・・


結構あちこち歩いたので少し休みたいところだったのですが、13時にユーリーと約束をしているのでホテルまで戻らなくてはなりません。ペチェルスカ大修道院もそうでしたが、意外に上ったり下りたりが多いキエフの街。石畳も手伝って普段とはまた違った箇所が疲れてきた気がします。


それでも地図と睨めっこをしてみると、昨晩のウクライナ料理レストランがある通りが近くに位置しており、そこを下ってほぼ一直線に独立広場へ迎えることがわかったのでトコトコ歩っていきます。


ランチを食べる時間はないかな、と思って独立広場の方に降りていくと、なななんと!シャウルマ屋が目に入りました。初日のクリミア・タタール料理屋からすぐ近くのところにあったんですねえ。シャウルマならそんなに時間もかからないので速攻で駆け寄って「おやじ、シャウルマ1つ」とすぐさま注文します。ここでも18グリヴナ也。


さてさてシャウルマを受け取り簡易テーブルの脇に立ってもぐもぐしていると、向かいから携帯電話を持ったお嬢さんがこちらに歩いてきて"Здравствуйте!"(こんにちは)なあんて言います。一瞬誰だか判らず、0.1秒ほどの間「キエフに来てとうとう自分にもモテ期が到来したか!?思えば、長かったなあ・・・」とか、「おいおい財布拾いはもう充分だぜ・・・」とか思ったのですが、よくよく御顔を拝見してみると、はいそうです、あのクリミア・タタール料理のレストランで給仕をしてくれたお嬢さんだったのです!!!(ここでずがが〜んと稲妻のような衝撃に打たれる)・・・レストランでは民族衣装で頭に帽子のような布を巻いていたのですが、当然今は普段着だったためすぐには判りませんでした。私も慌てて挨拶を返したのですが、びっくりしていてうまい話が見つからず・・・


「ああ、貴女でしたか!これから仕事ですか?」


「そうよ、仕事なのよ」


「そうなんですか」


「そうなの、それじゃ、さようなら」


「さようなら、がんばって・・・」


ってな具合で、向こうから挨拶をしてくれたのに、さようならと手を振ってくれたのに、面白いことのたった1つも言えず、片手にかじりかけのシャウルマを持っていた自分が只々恥ずかしかった、、いや、シャウルマは間違いなく美味しかったのですが、そこには「これじゃまるでシャウルマに夢中でお嬢さんに気づかなかったみたいじゃんかよ!」と自分を責めるもう1人の自分が居たのでした・・・そう、松任谷由実の「DESTINY」という曲に「どうしてなの 今日にかぎって 安いサンダルを はいてた」という歌詞がありますが、まさに今の状況はこの歌詞の状況に酷似しているな、と、男性でありながらこの曲の主人公の女性の気持ちが痛いほどよくわかった気がします・・・この体験で1曲書けるかもね、、


そうは言っても、向こうから挨拶してくれただけよかったし、そもそもここで会ったことが凄いことじゃないか!という持ち前のO型思考を発揮しすかさず回復(笑)万がイチ次に会った場合には、これはもはや運命であるとしてお食事に誘えばいいわけですよね。


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広場には大きなステージが出来ていて軍の方々がダンスや歌、演奏などを披露していました。出演する側、聴衆ともに、独立広場はかなりの人数でごった返していましたよ。


人々の邪気のない笑顔や笑い声が、今の僕には無性に優しく感じられたのでした・・・なあんてしんみりしているうちに時計の針は13時を回ったので、もうぼちぼちユーリーが迎えに来るはずです。いざ、キエフ・ドライブの旅へ!


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 00:00
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ウクライナ週末紀行 其ノ七 今回は僕の出番はそんなにない・・・来たれ、軍事マニアたちよ!(し〜ん・・・)(3日目)
13時を10分も過ぎようかという頃、ホテル前にユーリーが車を寄せてきたので握手をしていざキエフ・ドライブへ出発です。


結構キエフの見どころは回ったはずなので、一通り行った場所をユーリーに伝え、比較的歩きでは行きにくい場所を案内してもらうことにしました。


ということで、諸々の話題にああだこうだ言いながら彼の運転にまかせどんどん車は加速して行きます。昨日雨の中頑張ってやってきたペチェルスカ大修道院の辺りを通り過ぎ、"Царске Село" というウクライナ料理レストランを通り過ぎ、我々が到着したのは大祖国戦争歴史博物館。1981年にレオニード・ブレジネフにより開館となったこの博物館は、ドニエプル川沿いの丘の一帯に広がっています。


屋外には第二次大戦当時のミサイルやら戦車やらが展示されていて、この日は天気も良かったので大勢の人で賑わっていました。


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ドニエプル川沿いは公園や緑地になっている部分が多く、特に何もしなくても天気が良ければとても気持ちよく過ごすことが出来ます。


そんなわけで、私は軍事マニアでないので機械の解説は出来ないのですが、展示されていた軍事車両を以下紹介します。詳しい人は解説なりウンチクなり宜しくお願いします(笑)


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誰がどう見ても戦車ですね、はい・・・


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これは凄い迫力でした!こんなのが走ってたら足がすくんでしまいそうですよね。


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こんなのが本当に飛んでたんですよね・・・?ちなみにここの展示スペースは有料です。入場のみか、撮影もするかで料金が異なります。いくらかは忘れてしまいましたが両方で15グリヴナぐらい?


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奥の戦闘機は操縦席に乗せてくれるサービスもある模様です。多分有料。


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お姉ちゃんもお兄ちゃんも仲良く順番にね!女の子も戦闘機に興味津々そうなのが印象的でした。


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説明はウクライナ語だけなのでなかなか厳しかったです(まあ日本語でも厳しいと思いますが)


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(ベジータ風に)「まるで戦車のバーゲンセールだな・・・」


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こんなのが飛んできたらと思うと、ああ恐ろしい・・・


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雲は若干多かったですがこの日は太陽も出ていました。2006年の同じ時期にキエフに来た時は既に雪が降っていましたのであの時とは大違いですね。


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戦艦と魚雷?でしょうか・・・私にはもはや全然詳しくないガンダムみたいな世界に思えてきます・・・(従い「ひとガン」もいまいちわかりませんでしたゴメンなさい!)


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綺麗な青空と綺麗な自然・・・このような軍事兵器が活躍することのない世の中を願います、、


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子供たちが「ドカン、バキューン」とか「ずがが〜ん、ぐわし」とか言って戦争ごっこをしていました。標的にされなくてヨカッタです。


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大祖国戦争歴史博物館の入口は右下の建物でございます。そして「なんじゃこのドデカイ像は?」と思った方、こちらは"Родина-мать"というモニュメントです。意味は「母なる祖国」といったところでしょうから、大祖国戦争(第二次大戦の独ソ戦)で祖国と民を守った守り神的存在なのでしょうかね。一体何の方向を向いているのだろうと思ってユーリーに「ひょっとしてモスクワの方を向いているの?」と聞いてみたら多分そうだと言っていました。でもGoogle Mapで調べてみたら若干モスクワより南の方角じゃないかと思うのですが・・・ご存知の方は是非とも教えて下さい。


さて、なんと肝心の博物館の中は見学しなかったのですが、周りを散歩したり軍事兵器を見学したりして割とゆっくり出来ました。そろそろ次に行こうということになったのですが、このいい天気なのですぐ近くのペチェルスカ大修道院に寄ってもらい、写真を撮るためにしばし院内を散策。



大鐘楼は改修作業で閉館中だったのかな・・・?


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やっぱり雨の日より晴れの日に写真を撮った方が断然いいですよね。


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古からのドニエプルの流れ、中世キエフの修道院、現代の建築物が一体となった一枚。



古代の聖人たちが新作アネクドートを披露しあっている・・・!(笑)


ふらりと散策するつもりが天気も良かったので上ったり下ったり、結局時間をかけてかなり歩き回ってしまい足が痛かったです。PUMAのスニーカーで来ればよかった・・・


続いてユーリーに連れて行ってもらったのは、これまたドニエプル川沿いの高台にある「民族友好アーチ(Арка Дружбы народов)」。ちょっとしたアトラクションのある公園のような場所の中にあるのですが、この日はここでマウンテンバイク愛好者たちの集いがあった模様。マウンテンバイクを乗り回している輩がとても多かったです。


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虹の架け橋の中央下にある像は、ロシアとウクライナの労働者を表しているそうです。


ここはこのアーチを見たのみですぐに移動。街をあっちこっちに走り、これまで訪れた場所も通り過ぎるのですが、来るまで回ってみてわかる位置関係も結構あるな、というのが正直な感想でした。


その後、午前中に独りで訪れた聖ミハイルの黄金ドーム修道院の裏手の辺りにやってきて付近を散策します。



高台と川沿いを結ぶケーブルカーがありました。ウクライナ語ではФунікулер、ロシア語ではФуникулёр。ウラジオストックにもケーブルカーがあり、そこで初めて覚えた語です。フニクリ・フニクラ。



高台から望むドニエプル川。実は橋の真ん中辺りでバンジージャンプをやっていたようだったのですが、しばし迷う暇もなく今回はパスしました(笑)


この近くにある結構古そうな階段を下っていくと、もう一段下にも道がありました。



ドニエプル川を見下ろすウラジーミル聖公の像。988年に国教としてキリスト教(東方正教)を採用したことで有名な公ですが、この決定がなかったら今のキリル文字世界はどうなっていたのでしょうね・・・


こんな風にしてユーリーのおかげで結構色々なところを回ることが出来ました。この後もキエフ駅やジナモ・キエフのスタジアム、EURO2012の決勝が行われたオリンピック・スタジアムなどを周遊。流石にネタも尽きてきたようでしたがそれもその筈、何だかんだで時計を見ると17時前でしたので3時間余りの時間が経っていたのです。


もう市内観光は充分ということで、ユーリーに御礼を告げて一旦ホテルに戻ることにしました。空港から市内までのタクシー料金は20〜25€あたりが相場と聞きましたが、今日のドライブは解説付でかなり良心的な価格でやってもらえて良かったです。その代わり明日空港までの道のりも送ってもらうということで交渉していたのですけどね。


夕食を摂りに出るまでに一息つきたかったのでホテルの部屋でテレビをつけてごろごろ。キエフ最後の晩餐は何にしようかな、とぼんやり思っていたのですが、ホテルに戻ってくる時に見かけたあそこのお店に行ってみよう、と既に一案はあったのでした。


そうこうしているうちにウトウトと浅い眠りに入ってしまったようです・・・


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 07:32
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ウクライナ週末紀行 其ノ八 モスクワが涙を信じないのなら・・・よし、キエフはカロリーを信じないとしよう ! (3日目)
ユーリーにホテルまで送ってもらい、夕食に出るまでに一息つくつもりがうっかり眠りに入ってしまい、目が覚めると20時前でした。


まあ、どこに急ぐわけでもないので昨晩のように手ぶらでホテルを出ます。既に辺りは真っ暗ですが、フレシチャーティク通りが歩行者天国状態になっていて多くの人が出歩いていました。週末は車通りが制限されるのでしょうか?


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フレシチャーティク通りはこんな感じにホコ天化していました。端を歩こうが真ん中を歩こうがご自由にどうぞ。往来のタワーリシ各位の表情も楽しそうです。


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通り沿いのイルミネーションもなかなか面白いものがありました。2006年の自分もこの通りを歩いていたと思うと不思議な感覚ですね。


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少し見にくいですがベッサラプスキー市場(Бессарабский рынок)。リガに行った時は中央市場を覗いたのですが今回は寄りませんでしたね・・・


今晩行ってみようと思っていたレストランは、初日に空港から向かってきた時と今日の午後にユーリーとのドライブ中に見かけたため、「だいたいあの辺りだろうな」という感覚を頼りに歩いていたのですが、思っていたよりも距離があったみたいで2kmほど歩いてしまいました。これは酩酊したら帰りが大変だぞ・・・と思ったのですが、まあそれは酩酊した時に考えましょう。お昼ご飯はシャウルマだけだったこともありお腹はいい具合に減ってきていました・・・!


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はい、というわけでやってきました今宵のお店。カフカス料理レストラン「Хінкалі(ヒンカリ)」でございます。


お店は半地下のような形になっているらしく、恐る恐る扉を開けて降りて行ってみると・・・今夜もやっぱり、民族衣装をきたお嬢さんが「え?何だか珍しいお客さんね」とでも言いたげな、若干当惑した感じで挨拶をしてくれました。「予約はないです」と言って手頃な席に腰掛けます。


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店内は落ち着いていていい雰囲気でした。内装はグルジア風なのかな。


カフカス料理なんて言ってもたいした知識があるわけでもなく、いくつかの料理の名前がわかるくらいの私のレベル。だからこそ、本日はカフカス料理に親しむべくこのお店に狙いをつけてやってきたのです(笑)


それなのに、当然と言えば当然でしょうか、気を利かせてくれたお嬢さんが持ってきたのは英語メニュー!カフカス料理を英語で綴られてもさっぱりわからないので、「これってニシンのことですよね?とか「これって何の肉ですか?」といったような事をロシア語で尋ね、「あら、ひょっとしてロシア語メニューの方が良かったかしら?」とお嬢さんに気付かせる作戦を実行しました。


ところが、お嬢さんが結構丁寧に説明をしてくれるので、もうロシア語メニューはいいから気になることはどんどん聞いちゃえ!ということであれこれページをめくっては説明を受けました。生きたコミュニケーションの中で外国語を使うのが一番勉強になるでしょうし、こういうのも旅先での醍醐味ですよね。


そんなわけで今宵の夕食、つまりキエフ最後の晩餐がスタートしたわけです。皆様、毎度のことですがナイフとフォークの御用意を!(笑)


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これはカフカス料理なのかはわかりませんが、ニシンとじゃがいもの前菜をおつまみにビールでキエフの夜に乾杯です。ニシンは私の大好きな魚のうちの1つ、いつどこで食べてもオイシイです。


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ニシンの後に、チーズ盛り合わせ的なおつまみも出てきました。ハチミツソースがお供に付いてきたのが珍しいと感じたのですが、普通なのでしょうか?手前のスープはお嬢さんオススメのХарчо(ハルチョー)というグルジアのスープ。牛肉が入っていて何種類もの香草が感じられる味でした。酸味があってとっても美味。


ビールも2杯目を飲み終えてしまったので折角なのでグルジアワインのオススメをお願いしようと思ったのですが、オイシイオイシイとだけ言うのも面白くないのでお嬢さんにQ&Aを持ちかけてみました。


Q1. カフカス料理レストラン、というがどこの料理が一番メニューに多いの?


Q2. お店の名前の「ヒンカリ」ってどういう意味?


Q3. 店内に「鼻」がたくさんあるけど、ゴーゴリの「鼻」と何か関係がある?


まずA1.ですが、カフカス料理とは言うものの実際にはほとんどがグルジア料理であるとのことです。これは予想した通りでしたね。そしてA2.ですが、「ヒンカリ」とはグルジアの料理の名前で、グルジア風水餃子のことだそうです。美味しそうですがもうメイン頼んじゃったよ・・・


そしてA3. 店内の「鼻」というのは下の写真の左側の部分のことです。


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ロシア人かウクライナ人かという論争はあるそうですがウクライナと言えばゴーゴリ、ゴーゴリと言えば「鼻」、「ははあ、八等官コワリョフの鼻もカフカス料理を食べに来たんだな」なあんて、私は最初これを見た時にてっきりニコライ・ゴーゴリの「鼻」と関係があると思ってしまったのです。ところが、お嬢さん曰くこの作品とは無関係であるとのこと。カフカスの人たちは鼻に特徴があるため様々な形の鼻(とヒゲ)が揃っているとのことでした。鼻を集めてしまうとはなかなか珍しいお店ですよね。


もし私がキエフに住んでいたとしたらQ4.としてお嬢さんの名前と連絡先を聞いてもよかったのでしょうが、今宵はキエフ最後の晩であり、日本人にヘンな印象を抱かれても困るのでパス!(笑)


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そうこうしているうちにメインのシャシリクが出てきました!グルジアワインと一緒に頂きます。シャシリクと言えば思い出の料理。大学1年の時の文化祭でロシア料理店を出店した際、私が担当した料理がシャシリクでした。ロシアのことなんて何も知らないで大学に入ったけど、ああだこうだ言いながら皆でレストランを運営し、皆で酒を飲み、ああだこうだ言いながら皆で酩酊するのがとにかく楽しくて仕方がない文化祭でしたね。そう、今宵のシャシリクは現在とあの時とをつないでくれた、言わばタイムマシンでした・・・


当時のことをぼんやりと思い出していたせいかワインのおかわりも進み、シャシリクを食べ終わる頃には例によってお腹はパンパン・・・まあ、帰りにまた2km歩いて帰れば平気でしょう!ってな具合でしたけどね。


デザートとコーヒーでも頼もうか、どうしようかと思って店内を見回していると、どうやら料理の一部は奥の厨房ではなくカウンター越しにお客さんと同じ空間で作っている模様でした。そもそもカフカス料理に親しむのが今宵の大きな目的ですので、これ幸いとばかりに席を立って突撃し、見学させてもらうことにしました。


僕は日本出身だが現在ベルギーで独身生活を謳歌しており、祝日と合わせてキエフを旅行している。昨晩は腹いっぱいウクライナ料理を食べたので今晩はこのレストランに来た。グルジア料理にも興味があるのでちょっと見ててもいいか、というような内容のことを伝えると、「どうぞどうぞ」と快い返答が。毎度お馴染みの何故ロシア語が解るのかという質問から、ウクライナは今回が初めてか、どこの観光地を回って来たのかなど、日本人が珍しいこともあるのでしょうが作業をしながら結構こちらにも質問が投げかけられます。しまいには横のバーのバーテンも話に加わってくる接し易さ(笑)


忘れてしまっていたはずのロシア語も、アルコールと先程の時間旅行が手伝って、何だか口をついて出てくる気がしました。酒を飲みながら語学をやることの有効性を実証するために過ごした学生時代、どうやら無駄ではなかったようです・・・


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というわけでカウンター越しに見学させてもらいましたとも。2つの樽からはワインが出るのか尋ねたところ、昔使ってたものを今は飾りにしているとのことでした。左の樽の下に見えるのが、ヒンカリを茹でる機械だそうです。もう少し左にオーブンらしきものもあったので、小麦粉を練って蒸したり茹でたりするようなものはこちらで作っているのでしょうかね。


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手前には練った生地を平らに伸ばす機械があり、女性の方がせっせと生地を投入していました。


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なるほどこれなら均一に伸ばせるわけですね・・・ところで先程ゴーゴリやグルジア人の「鼻」の話が出たのが原因かどうか知りませんが、何だかこの女性の鼻も特徴的に見えませんか・・・?「こちらで働いているということはひょっとしてグルジア系の出自の方ですか?」と尋ねてみたところ、ウクライナ人であるとのことです。これはどうも失礼致しました(笑)


女性は慣れた手つきで肉を包み、奥の茹で機に未来のヒンカリを投入していきます。


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左側のマシンにヒンカリが投入された図。「貴方は注文しなかったの?したら良かったのに」と仰ったのですが既にお腹はパンパン・・・食べてみたかったですが次回必ず注文しますと伝えておきました。いやいや本当に来るよ(笑)


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今度は何だろうと思って尋ねてみるとハチャプリの準備だそうです。左の箱に入っているのはチーズ。ハチャプリはグルジアのチーズパンというか、チーズパイのような食べ物。


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そうこうしているうちにカウンターのほうにデザートが運ばれてきました。お嬢さんのオススメに負けて、やっぱり頼んじゃったのね(笑)ナッツとシナモンのような風味のよく利いた甘さ控えめのケーキ。名前は失念しましたのでご存知の方は教えて下さい。


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ちなみにヒンカリとはこのような料理です。中身は牛肉やらチーズやらキノコやら結構種類はあるそうですよ。本当にお腹がいっぱいで食べられなかったのが残念でしたのでまたの機会を楽しみにすることにします。マントゥイとは何が違うのか尋ねてみたところ、マントゥイは蒸して作るのに対し、ヒンカリは茹でて作るとのことでした。言わば「カフカス風ペリメニ」ですね。


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そんなわけで、帰り際に皆さんで和やかに記念撮影。お酒関係は右のお兄ちゃんが、ヒンカリ、ハチャプリ、マントゥイなど粉から作るものは左の女性お二人が大活躍していました。


今夜も気が付けばいつものカロリー超過でしたが、料理はとっても美味しかったし、作っているところも見ることが出来たし、何よりお店の方々と色々とお話を出来たのが良かったと思います。グルジアワインをおかわりしたせいでお会計はウクライナにしてはやや割高でしたが、多角的に夕食の時間を楽しませてもらいました。お店にとっては些か騒がしかったかもしれませんが、ヘンな東洋人ではなく、面白い日本人と映っていたら嬉しいのですが。もしまたキエフに来る機会がある時は是非ともヒンカリを食べに来たいものです。「ああ美味しかった、お腹がコサックのようになっちゃったよ」と言ってレストランを退出。


帰り道は元来た道ををゆっくりと歩き、沿道のイルミネーションを楽しんだり、通りに出ている芸人・絵描きさんなどを見ながらホテルの方に戻りました。結構お酒を飲んでしまったかとも思ったのですが、2km近くも歩くといい腹ごなしになりカロリープラマイゼロに淡い期待を抱いてしまいました。


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観光客は決して少なくないと思いますが、キエフは首都にしてはとても静かな街かもしれませんね。


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通りの真ん中ではぶらさがり大会?のようなものが行われており、多くの人が集まって応援したりヤジを飛ばしたりしていました。夜のフレシチャーティク通りもまた昼間とは違った賑やかさが滲んでいていいものです。


ホテルに着くと例の如く、炭酸水をガブ飲みして就寝。本当によく歩き回り、本当によく食べ、そしてなかなか面白い出会いのあったキエフ紀行でした。どきりとする場面もありましたが、独り旅にしては過去最大級の充実度だったかもしれませんね。


帰りの飛行機は午前中の便だったので翌朝8時にはユーリーが迎えに来てくれました。特に渋滞もなく無事にボリスピリ空港に到着。「また何かあったら呼んでくれよな」というユーリーにお礼を言って、ガッチリと握手をしてお別れです。「帰り道に食べなよ」と言ってリンゴをくれるあたり、何だかスラヴ臭さを感じてしまいました・・・(笑)


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ボリスピリ空港にはレア航空会社の飛行機がズラリ・・・?


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ブラッセルまでは約3時間の道のり。いやあ、本当に楽しい旅でした。これでまた仕事が頑張れるというものです。シャウルマの写真を撮っていないのが若干残念ですが、また機会はあるでしょう!


日本人にはなかなか馴染みがないかもしれないウクライナですが、ビザも要りませんのでロシアに比べたら訪問は随分楽なはずです。タワーリシ各位、食わず嫌いは勿体無いですよ、是非ともかじりついてみて下さい!その際はカロリー超過に注意してね!(笑)


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - ウクライナ, 00:13
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