瞬く間の一年でしたね。
昨年の3月11日、私は午後休を取って退勤し、週明けから3日間予定されていた研修のための課題を近くのネットカフェでこなしていました。
そこにやってきたあの凄まじい揺れ。今まで感じたことのない強さだというのは直ぐにわかりましたが、揺れが一段落した後、日本のどこかでとんでもない事態が起こったんだ、と息を飲んだのを今でもよく覚えています。
私はその日そのままネットカフェに滞在することになったのですが、幸いネット環境はあったものの携帯電話、メールは不通。それよりも何よりも続々と入ってくる大津波、原発関連の悲報・・・これが本当に日本なのか、フィクションじゃないのか、そんなことをぼんやりと思いながら不安な夜を明かしました。
途中、ようやくメールがつながり家族の無事が確認できた時は本当に安堵しました。そして、何回か非通知で着信があり受信できなかったのですが、それがロシア人の友達が国際電話でこちらの安否を気遣ってかけてくれていたものだとわかった時は涙が出そうでした。
今なお被災地復興や原子力発電所関連で問題は山積み、家族親類を失った人の悲しみは決して絶えることはないのでしょう。残念ながら犠牲になった方々の命と、復興にこれまで関わってきた数え切れない人々の労苦と引き換えの教訓をもとに、この世界中が注目した1日から始まった数々のことを忘れずに過ごしていかねばならないと感じます。
自分は被災地復興に何ができるか?そして何をしてきたか?と問われると、そんな凄いことも、偉そうなこともできません。1年前に考えたことと同じで、今いる環境の中で出来ることに精一杯取り組むことだけ。誰かがやりたくないこと、できないこと、やらなくてはならないこと、を代わりにやって誰かの役に立つ。たとえ小さなことでもそんな見えない連鎖が積み上がって、被災地に届いている部分もあるのだと信じています。
今は仕事の都合で日本を離れていますが、今こうしていられることに改めて感謝の念を覚えます。そして、一日も早い被災地の復興を願って明日からもがんばりたいと思います。