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リトアニア週末紀行 其ノ五 センポ・スギハラとの再会
(5月2日のお話の続き)


独立広場の聖ミカエル教会を通り過ぎ、大通りを右折すると、朝来た時にバスで通って来た大通りに出ました。もう随分歩いて戻って来たというわけですね。


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ご覧の公園、というか緑地では随分遊んでいる子供たちが多いな、と思っていたら・・・


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なななんと!カウナス・アレクサンドル・プーシキンギムナジアがありました。リトアニアにもこんな名前の教育機関があるのですね。調べてみたところ、やはりここはロシア語で教育を行う学校である模様です。毒にも薬にもならぬ情報で恐れ入りますが、基本的に昼間は就学前、初等、中等の教育をロシア語で行うそうですが2009年からリトアニア語で教育を行うクラスも出来たとか。夜学もありますが、こちらは18歳以上を対象にリトアニア語で教育が行われるそうです。


ちなみに、私のもみあげは半分この偉大な詩人へのリスペクトを表しています・・・なんてね(笑)


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大通りを逸れて緑地を突っ切ると周囲はごく平凡な住宅街になってきました。


ここを真っ直ぐ行くと心臓破りの階段、と言わんばかりの結構しんどい階段が現れます。500mlのビールを2杯飲んでしまっていたもんで結構大変だった・・・それでもなんとか階段をのぼりきって道沿いに歩いて行くと・・・!


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はい、こんな建物が現れます。こちらが私がカウナスを目指した理由の1つ、杉原記念館(旧日本領事館)でございます。


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希望の門、命のヴィザ・・・


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入口は記念館の脇の小さな道を少し下った場所にあります。記念館は地下なんですね。ベルを押すと人の良さそうな館長が開けてくれました。


来る時に記念館の近くに大き目のバスが停まっていたので、「ま、まさか・・・!」と思ったのですが、中にはやはり日本人の団体さんがいましたよ。今回は先ほどの方々より随分若い方も混じっていて親子連れなんかもいらっしゃいました。どうやら皆様ドイツからやってきた模様。在留邦人やその家族向けに欧州内のツアーなんかを企画する旅行社は結構どこの国にもあるのでしょうね。この点はベルギーも然り、です。


さて、「日本のシンドラー」なんて呼ばれることもある杉原千畝(すぎはらちうね)をタワーリシ各位はご存知でしょうか?第二次大戦の初期、ナチス・ドイツの迫害から日本を通過してアメリカ・オーストラリアなどへ逃れることを求めたユダヤ人に対し、日本本国の命令に背いてまで通過ビザを発行し続け、多くの命を救ったとして有名な外交官です。当時リトアニアの首都はカウナスだったため、まさにこの旧日本領事館である場所が舞台となったというわけです。


私が杉原千畝のことを知ったのは、もう何年前だったか忘れましたが(笑)高校生の時のことです。校外学習か何かで市民ホールかどこかに演劇を見に行った際の演目が「センポ・スギハラ」というものでした。高校1年生当時は私も尖っていたのでしょうか、「はぁ?スギハラはともかくとしてセンポってなんだよ?イッポ、ニホ、センポかよ?」とまで言ったかどうかは定かではありませんが、ヘンな名前だなあ、と思った記憶があります。実際には「ちうね」という発音が現地人には発音しにくいということで、「せんぽ」という音読みで通していたということを後で学びました。今では劇の各場面については朧げな記憶しかありませんが、それでも劇を観終った時にはいたく感動したことをよく覚えています。


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館内には当時の家族との暮らしぶりや、杉原氏の人となり、生涯などが写真パネルと文章で紹介されています。


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杉原氏がそもそもリトアニアで勤務していたのは諜報活動を行うためだったそうです。リトアニアはソ連やドイツと国境を接していて地理的に絶好の場所だったのですね。英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語も達者であったそうな。羨ましい限りです。


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英語やヘブライ語で書かれた関連書籍も併せて展示されていました。


1940年の7月18日、ナチス・ドイツに追われポーランドからリトアニアに逃げてきたユダヤ人たちの人だかりが突如としてここカウナス日本領事館前にできたそうです。当時の世界各国はユダヤ人の受け入れをはっきりと拒んではいなかったとのことですが、様々な条件が課され事実上ユダヤ人が渡航するのは難しい状況にある国が多かったとか。


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当時の松岡洋右外務大臣に宛てた文書の一部。


当時の領事代理であった杉原千畝はビザ発給の許可を求める電報を何度も日本に向けて打ったそうです。ところが毎回の外務本省からの回答は「否」。日独伊三国同盟を模索していた日本としてはナチス・ドイツを刺激するような行動は出来なかったことは理解出来ますが、ユダヤ人たちには日本通過ビザが彼らに残された生きるための唯一の手段でした・・・日増しに伸びてゆくユダヤ人の行列を前に杉原千畝は悩みに悩んだ挙句、ついには本国の命令に背き、ビザを発給することを決意したのです。


この頃、1939年の独ソ不可侵条約の秘密協定でバルト三国のソ連併合が決定されていたことを受け、リトアニアにもソ連兵が進行してきていたそうです。8月3日にリトアニアはソ連に強制されて独立国を放棄、結果として在カウナスの外国公館は8月25日付で閉鎖されることが決まりました。千畝の手記には「・・・忘れもせぬ一九四〇年七月二九日からは、一分間の休みもなく、ユダヤ難民のための日本通過ビザ発給作業を、開始した次第です」とあるそうです。


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当時の執務室が再現されています。この机で命のビザが書かれていたんですね・・・


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はるばるやって来たので、私もビザを書くつもりでしっかりと記帳しておきましたとも。そして、基金への募金も併せてしてきました。


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「命のビザ」拡大版ですね。


杉原千畝は領事館の整理に追われる間も、また出国までの滞在先のホテルの中でも休むことなくビザを書いたそうです。9月5日にベルリンに向けカウナス駅を出発するその時まで書き続け、最後の1枚は車窓から手渡したといいます。発給したビザは2000枚以上、家族に対しては1枚でも有効だったためビザの対象となった人は6000人を超えるとか。こうして救われたユダヤ人の親族や子孫の数は現在では25万人にもなっていることがわかっているそうです。杉原氏が書いていたビザはまさに命をつなぐビザに他なりませんね。


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別室では福井テレビ制作の15分程の映像を上映して見せてくれるのですが、これが結構泣かせる番組になっているんですね。前の日本人の団体さんが終わった後でたった1人で見ていたので遠慮なくじ〜んとすることが出来ました(笑)


映像を見終わると結構いい時間になっていたので、杉原記念館のブックレットと杉原千畝ガイドブックなる書籍を2冊購入し、館長に挨拶をして辞去しました。長閑な住宅街を通り抜け、来た時にバスに乗ったバスターミナルを通過し、特に慌てることもなく駅に到着出来てよかったです。


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こちらは線路側から駅をみた画。17時過ぎの帰りの電車にも少し余裕を持って到着出来ました。まだ結構暑かったので駅の横のキオスクでボルジョミ(グルジアの天然炭酸水)を購入し喉の渇きを潤しました。久しぶりに飲んだけど、独特の塩気みたいなのが美味しかった!


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こうしてカウナス日帰り旅行は終わり、ヴィリニュスまで1時間40分の道のりをまた戻ったのでした。


朝から歩き通しで結構足が疲れたこともあり、帰りの電車内では財布の位置に注意しながら居眠りもしつつ無事ヴィリニュス駅に到着。そのまま窓口で翌日のシャウレイ行の始発電車の切符を買いました。朝早くて万が一窓口が開いてない、なんてことになると困りますからね。


駅からホテルまでの道のりはもう大丈夫なのですが、今回はバスを利用して帰ってみました。ヴィリニュスの旧市街はやはりリガなんかと比べて広いですね。


ホテルに着くと早速ごろごろして休息休足しつつ、夕食は何にしようか検討しました。お昼はリトアニア料理をたらふく食べたので、何にしようか・・・眠いし出歩くのが面倒くさい気もしたのですが、ここは今回の旅でトライしていないロシア料理だろ!ってなことでロシア料理店を調べ、重い足を引きずって街に出たのでした(笑)


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ネリス川に架かる橋の途中で一休みして、川の水面をぼんやりと見遣っていると・・・


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気持ちよさそうな水上の旅人の姿が・・・陽も傾いて爽快な気分だったでしょうね。


橋を渡り切って右折をしてしばらく歩いて行くと、そろそろお目当てのレストランに着くはずです。・・・着くはずなのですが、一向にそれらしきお店が見当たらない・・・辺りは住宅街とビジネス街があわさったような感じの雰囲気。人通りもなく段々暗くなってきたので心細くなってすらきました。


どうしようかと思っていると、近くの駐車場におじいさんが歩いている。思い切って声をかけたところ、「Excuse me?」では通じないのか止まってくれない。少し大きめの声で「Простите, пожалуйста!」と言ったら止まってこちらを向いてくれたので、「すみません、ロシア語がわかりますか?」と尋ねたところ耳に手をあてて「わかるよ。なんじゃい?」ってな感じで答えてくれました。「この辺りに『ツァールスコエ・セロー』というロシア料理店があるはずなんですが、ご存じありませんか?」と問うたところ、「確かこの通り沿いにあったはずだが、こっち側じゃなくて反対側じゃ。橋を通り過ぎて100mか200mくらいのところ」と。なるほど、橋を渡って左折すればよかったのですね。どうやら頭に入れたつもりの地図上で橋を一本間違えたな。


おじいさんには丁寧にお礼を言って教えてもらった方向へ歩いて行きました。「明日は早いからあまり遅くならないうちに帰ろう」なんて思って歩いていると、まさかとは思ったのですが橋に差し掛かる辺りで日本人の女子大生と思われる(バッグのかけかた、服装などから)5人組くらいに遭遇。その中の1人は「えっ、うそ?この人日本人じゃない?えっ、うそ?」的な視線を送ってきており「2回聞き返さなくったってうそじゃないよ・・・」なんて思っていたのですが、こちらはじりじりと無言ですれ違ったのみ。私は「あれ、この人日本人かな?」と思っても意外と台湾人なんかに間違えてしまうことも多いのですが、あの晩すれ違ったお嬢さん方、もし日本人だったらコメント書き込んで下さいね(笑)


というわけで、結局30分以上歩いたけどレストラン"Царское Село"に無事到着。おじいさんありがとう!この名前のロシア料理店はきっととっても多いでしょうね。


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お店の脇には大きなマトリョーシカがやってくるお客さんを歓迎していました。


お店はよくあるカラオケとダンスが出来る飲みレストランみたいなところなので結構な賑やかさ。観光客も地元民も来ている感じでしたが、顔見知りのような方も多かったみたいなので、やはりロシア系のタワーリシ各位の交流の場になっているのかもしれません。


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毎度の如く1人で飛び込んだら若干戸惑われましたが、「独身1名、よろしいですか?(Один холостяк, можно?)」と(店内が騒がしいので)少し大きめの声で言って席に案内されました。通された席はステージが見にくい場所にあったのですが、なんと席からも見えるようカメラの映像がスクリーンに投影されていました。親切ですね。女性の歌手の方とフツーのおっさんかと思ったらおっさんの歌がめちゃくちゃ上手くて感服しました。


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まずは本日1日の疲れと喉の渇きを潤します。朝からカウナスで歩き詰め、ヴィリニュスに帰って来てからもここにたどり着くまでに結構歩いたので本当に疲れた。それでも、とても爽快な1日でした。高校生の時に知った「センポ・スギハラ」にまさかこんな形で再会出来るなんて・・・まったく人生何が起こるかわからないもんですね。


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サラダ「オリヴィエ」です。留学時代によくスーパーで買っていたっけなあ・・・大体このオリヴィエか、ヴィネグレッドというビーツのサラダを買ってビタミン補給していた日々が懐かしいです。


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「とっくにご存知なんだろ・・・?こちらが、泣く子も黙るウクライナ風ボルシチだ!」この甘くて酸っぱいような味が疲れた体に沁み渡ります・・・


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そしてこれが、「毛皮を着た・・・なに?毛皮が脱げかかっている、ニシン・・?」です。またニシンかよ(笑)って感じもしますが、「毛皮を着たニシン」はロシア料理の中で一番好きなメニュー。普段滅多に食べられないのであると必ずと言っていいほど頼んでしまうのです。


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そして極めつけは、、ご覧の「シベリア風ペリメニ」でどうだ!(笑)私はどちらかというとスープのないペリメニをこれまでよく食べてきましたが、スープありのペリメニもなかなか美味しい。


こうして写真を見返していると何だかんだでかなりのカロリー超過だよな・・・ってことで、ロシア語で各料理のカロリーを検索して調べてみました。例えばボルシチなら「борщ калорийность」ってな具合にね。


結果、「オリヴィエ」198kcal、「ボルシチ」290kcal、「毛皮を着たニシン」340kcal、「シベリア風ペリメニ」415kcal, 合計1243kcal、これに0.5のビール2杯で400kcal, ボルシチにパンも付いてきたので丸パン100kcalとすると・・・なんと1743kcal(!)成人男子の一日あたりの摂取カロリーは1800~2200kcalだというそうですから、ご覧の通り完全にカロリーオーバーだったんですね!


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お店が入った時より随分空いてきたかな・・・?なんて思ったら、皆さん一同でステージの方に出てダンスをしていらっしゃったんですね(笑)どんな曲にも合わせて踊れてしまう人たちが本当に羨ましい限りです。


ロシア料理をおなか一杯食べた満足感と、カロリー超過の罪悪感の2つを抱えながら毎度の如く腹ごなしをすべく歩きでホテルに帰りました。結構混んでるかと思った割には料理が早く出てきてヨカッタ。自信ありませんが明日は早起きしてシャウレイという町にこの旅のカロリー超過を懺悔しにいくよ・・・(笑)


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author:駆け出し俳優, category:週末紀行 - リトアニア, 05:55
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